信仰と人間と 山田晶 『アウグスティヌス講話』

(2020年の10冊目)中世哲学研究の権威であった山田晶が1973年におこなった講話をもとにした本。全6講を収録しているが、タイトルにでているアウグスティヌスが前面に出ているのは第1講の「アウグスティヌスと女性」のみで、それ以外はアウグスティヌスの議論を根底に敷いた自由な講話のようである。面白いのは当時の世相や仏教といったキリスト教の世界とは別の確度からも議論を検討しているところで、それによって議論がより人間的というか、この世の話として見えてくる。形而上的な、現実離れした議論ではなく。

アウグスティヌスは、西洋哲学史上初めて意志を問題化した思想家として知られているが、本書においてもその意志の問題への言及がある。人間のふるまいは自由意志によるものなのか、あるいは、神の恩寵(恩恵)にもとづくものなのか。著者は、この問題を「あれか、これか」の問題ではない、と説く。

意思の代わりに恩恵が人間の内部ではたらいていて、人間がまるででくのぼうのようになって、あるいは、恩恵に憑かれたようになって、善をなすということでは決してないのです。ただ善をなるのは人間がなすのではなくて、神の恩恵によってなさしめられるのである、善をなる根源は神の恩恵であるという、そのことをアウグスティヌスは強調し、そのことを徹底的にあきらかにしようとした(P. 158)

この指摘には、なにか人間の意志の二重底構造のようなものが見受けられる。意思によって信仰し、信仰を通して(信仰を通してのみ)恩恵をうけ、善へと至る。この際の信仰は、自由意志に対して制限を与える倫理や道徳のようなものとしても機能するのかもしれない。そういう読み方はスピノザの意志論の先取りのようにも思えてくる。

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