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お金を払う=投票合戦

モノを買う。
サービスを受ける。

資本主義で生きていると、絶対に行う行為。

何気なく支払うそのお金は
各個人の「どんな社会を作りたいのか」
に対する間接的な意思表示である。

恥ずかしながら、これを意識し始めたのは
最近です。

支払ったお金は、誰かの所得になる。
誰かというのは、個人の場合もあるが、主には企業や会社といわれるところ。

儲かった企業や会社はその資本を使って、また新しい事業やサービスを展開し、モノを作る。
または、"何か"を消費する。

スケールが大きくなってしまうけど
その新しい事業やサービス、モノは
地球がよくなるのか?
人類が平和になるのか?

その企業のつくりたい社会って、なんだろう?
また、その企業の社員はどんなことにお金を使うのだろう?

安い!
と飛びついてばかりいては、

大量生産大手企業ばかりか生き残っていく。
極端にいうと
マクドナルドがあちこちに乱立する。

こんなとこに、コンビニできるの?
こんとこに、パチンコできるの?

景観を壊すな。
環境を壊すな。

主張する前に、この社会を作っているのは
自分の一瞬一瞬の決定なのだという
当事者意識がなければならない。

ある経済学者は、旅行に行った際
お金が高い安いに関わらず
その地域の文化を担っている
小さな商店で必ず買い物をするという。
おばあちゃんが1人で営んでいる、"いかにも"というようなところらしい。

僕を含めて一般人と言われる人々は
その少ない資産をどこに分配するかで
世の中は変わっていくんだなぁ。

毎日が投票だ。

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