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「ファッション発達障害」

明日は診察日なのに全く寝る気が起きないため、今これを書いている。
期限切れのレポートをやっと書き終えて今日は終わった。
まあ夕方爆食したのに吐かなかっただけ一昨日よりはマシだろう。


昨日の夜、ちょっとしたことで落ち込み全く眠れなくなってしまったので、Xの TLをぼーっと見ていたら、ギョッとするような言葉が流れてきた。


「『ファッション発達障害』についてどう思いますか?」


このポストを見た私はまるで自分のことを言われているような気持ちになり、あれこれ悩み出して余計眠れなくなった。
最近の私は目や耳から入った指摘や陰口や叱責が、まるで自分に対して投げかけられているような気持ちになってしまう。
冷静に考えたらあの時はちょっとおかしかったので、後から考えてみると別に私に対して言っていたわけではないのだけど、それにしても何か引っかかる言葉だった。
リプ欄を見ると、「生きづらさの言い訳として発達障害を自称する人」とあった。
これに対する反応は様々で、「腹が立つ」とか「現実逃避してるだけ」というコメントに勝手に胸が抉られていた。
心理検査で「発達っぽい」とだけ言われていて、まだグレーなのか黒なのかすらわからない私は、この人たちの批判の的になりうるのか…という思考がぐるぐる頭を巡った。


それにしても、初めて聞く言葉だけにイマイチどういう人が当てはまるのかピンときていなかったので、ググってみるとこちらの記事が出てきた。

簡単に要約すると、大学の同級生に自分の障害のことを話すと、「私も発達っぽいところあるんだよねー」みたいな軽い反応をされてモヤモヤしたという話だ。
こうやって、自分が苦手な分野に対して「私ADHDっぽいから〜」みたいに軽いノリで障害を自称する人々を「ファッション発達障害」というらしい。


なら私は違うか、と思った。
私は幼い頃から違和感を感じていたが、両親が普通学級に入れたがったため、健常者の一員としてずっと生活してきた。
でもやっぱりどこかおかしくて、信じられないくらい運動音痴だし、図工の工作で使う材料を毎回のように忘れるし、新しい環境がとにかく苦手で席替えで周りの人の配置が変わるだけでものすごいお腹が痛くなるし、相手の気持ちを慮って話すことができず友達に不愉快な思いをさせたりしていた。
他にもいろいろできないこと、苦手なことのエピソードはある。
小学校の入学前に、校長と三者面談を行ったのだが、普通はやらないらしく、後で聞いて驚いた。



そもそも私は自分の発達っぽい特性がすごい嫌で未だに受け入れられていないし、自分の周囲にはあまり吹聴したくない。
最近になってやっと心理検査を受けようと思ったのは、仲の良い友達がカミングアウトしてくれたのがきっかけだ。
中学で人間関係で大きな失敗をして以来、「私はやっぱりそうなんじゃないか…」という思いがずっと胸に燻っていたが、言い出せなかった。
言い出せる雰囲気ではなかった。
幼い頃療育センターで、知的な遅れはないという理由で全ての障害の可能性を否定した母や、「俺もそういうところはある」とまさにさっきの記事の同級生の如き態度をとる父の前では。
でも父なんかは確かにかなりそれっぽいところがある。
でもそれと、私が専門家の判断を仰ぎに行こうとするのとは別だ。
もう両親の了承を得るような年齢ではないので、勝手にカウンセリングなどを受ける予定を立てている。



とにかくこんな感じで長らく自分の中の疑念を言い出せずにいて、今まさに自分のできないことの「言い訳」として障害を使おうとしている私からすると、「ファッション発達障害」という言葉は結構衝撃だった。
個人的には、精神疾患によって生活に支障が出ることを精神障害というならば、何らかの生きづらさを抱えていてそれが原因で生活に支障が出ているならば「〇〇障害」に当てはまるんじゃないかな、と思う。


生きづらさを抱えているわけではない人が、軽い気持ちで障害を自称することは確かに間違っている。
でも、この世の中で、発達障害に関する認識が浅すぎることが根本的な問題な気がする。
障害者の人は本当に困ってる。
私はまだ黒かグレーかわからないけど、グレーや境界知能の人もいるという認識も同時に広まってほしいと思う。


去年本屋で見かけて表紙買いした本があり、いずれレビューしてみたいな、と思う。


重度障害者の人が、グレーゾーンをどう思うのかはすごい気になる。


結局また長々自分語りのつまらない文章になってしまった。
死にたいと言いながらも結局生きる方法を模索してる。
疲れたからもう寝よう。

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