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◤日常◢ 「今ここ」に集中するのって難しい。[#106]

仕事やプライベートで大きなストレスが掛かった時、わたしはそのモヤモヤを手放すのがとても苦手。結構引きずるタイプ。
若い頃よりマシなったけれど、それでも、少しでも暇な時間が出来たら、その隙間を狙ったように「嫌な人」「嫌な出来事」「嫌な言葉」が襲いかかってくる。

10代や20代は、一つでもそんな事があったら、「わたしってなんてダメな人なんだ」「わたしなんて生きている価値無いやん」「いっそラクになりたい」って劣等感や無価値観、自己嫌悪ばかり。
そして、多感な時期はそんな出来事が一つなんてことはなく、365日中350日ぐらい悩んでしかなかった。

社会に出て「世の中には“いろいろ”な人がいる」ということを学んでから、処世術とでも言うのか、「自分の心をコントロールしないとやっていけないな」と悟った。
それでも完全に“心を殺す”ことは出来なくて、寧ろ心の通ったケアを必要とする仕事に就いている。これもまた不思議。10代の時は「ベルトコンベアーの前で流れ作業をしていたい」と願っていたのにね。

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つい先日も、わたしを悩ませる人が現れて、出来事も起きて、それ以来わたしの思考やこころはその出来事に囚われている。恐怖すら感じる。
幸いひとり暮らしをしているお陰でやらなければいけない事がたくさんある。それらをしている間は、対象の人も出来事もどこかに置いている。でも、一息つくとまた迫ってくる。
「人生は有限なのに、この悩んでいる時間もったいない!」って思うのに、どうしても悩んでしまう。ストレスでお腹が痛い。でも食欲はあるし、夜は泥のように眠る。そのあたりはタフになったらしい。

マインドフルネスなどでは「今ここ」に集中することが大事と言われる。過去を悩んだり、未来を憂いたり。そこに思考もこころも連れて行かれないように、「今まさに過ごしている、ここ」に思考を持っていくのだ。
わたしがこの文章を書いている時間は、今しか流れていない。家があって、パソコンがあって、暫く困らないほどの食材が備蓄されていて、生活を脅かされたり危害を加えられたりする心配や不安はなくて、話をきいてくれる家族や友達がいる。それらがあるのって素晴らしいことで、それだけ豊かなのに、わたしはたった一人の人物に支配されて怯えていた。

「今ここ」を生きているわたしをもっと尊重してあげよう。こころの声を聞いてあげよう。したい事があるならしたらいいし、食べたいものは食べる。寝たいなら眠ればいい。辛い出来事を経験した自分を癒して、甘やかす。
「辛かったよね」「そりゃあムカつくよね」「あんな奴××だわ🤫」なんて愚痴をじぶんが聞いてあげる。
それを繰り返すことで傷がどんどん癒されていくし、こころの平穏も保たれる。

集中できたと思ったら、また連れ戻される。そして、集中する。
この、「今ここ」に集中するのは訓練。一朝一夕には出来ない。

今日はToppoを食べたかったので、スーパーで買ってきた。
チョコレート最高。

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