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2月25日「We Never Walk Alone」

この文章を彼女が読むことがあれば、わたしは恥ずかしすぎて泡を吹いて倒れてしまう気がする。でもそんなのはうまくいっても数年先になるだろうから、今は思いっきりセンチメンタルに書いてやろうと思っている。

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大切な友達の話をする。この文章は彼女に向けて書いている訳ではないけど、手紙と呼ぶのが一番しっくりくる気がする。

四年と半年前、彼女に初めて出会った頃のわたしは、常に寂しくて不安で、自分のことをどうしようもなく一人だと思っていた。そして同じくして彼女もどうしようもなく一人だったのだろうと、今になって思う。

ロンドン郊外にある小さな古い街。大聖堂の隣に建てられた、広い大学キャンパス内の端っこにある古びた寮。

割り当てられたその寮を、わたしは心の中でオンボロハウスと呼んでいた。14人で使う大きなキッチン、殺風景な小さい個室、歩くだけでミシミシ音がする廊下。

彼女のユニークな自己紹介を今でも覚えている。寮の重いドアを開けて出会った彼女に、拙い英語で「日本から来た」と言うと喜んで迎え入れてくれた。

色んなことを話した。わたしたちは寮の中で一番英語が下手で、でもだからこそ、2人で話すときは全然緊張しなかった。わからなくても、わかるまで話せばいいだけだった。幸い、時間だけはたっぷりあったから。

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無事進級が決まった翌年、わたしたちはオンボロハウスを出た。

その頃のわたしはかなり、頑張っていたんだと思う。馬鹿みたいだけど、留学で成功した自分になりたかったし周りにそう見られたかった。勉強もたくさんしたし、得意じゃないクラブに行ってみたり、わざわざ新しいコミュニティに顔をだしたりしていた。

それらは全部楽しかったし、友達もできてすごくよかったのだけど、やっぱりなんだか疲れてしまった。だって当時なんとなく感じていた、息の詰まる感覚を今でも覚えている。

たぶん心のどこかでずっと、「頑張らなくていい場所」が恋しかった。彼女の作った料理を横からつまみ食いしていた、あのオンボロハウスの馬鹿でかいキッチンみたいな場所が、とても恋しかった。

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その次の年、色々あって一年ぶりにまた彼女と住むことになった。わたしたちを含む五人で一軒家を借りて、まるで家族みたいに暮らした。

その日々が、わたしの大学生活の中で一番尊くて美しい時間だったと思う。小さな家の暖かいリビングルームは、わたしが求めていた「頑張らなくていい場所」そのものだった。

無条件にいることを許されるような、自分という人間をなにも偽らなくていいような場所だった。お互いが違う人間であるということをわたしたちはよく理解していた。それでいて一緒にいるときはとても楽しかったし、暖かかった。

そういえば彼女はわたしを、いつもそういう場所に引き連れてくれる人だった。もしくは彼女自身が、わたしの頑張らなくていい場所になっていたのかもしれない。

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彼女のことを、楽観的なふりをしている悲観的な人だと思っている。そしてそれは、悲観的なふりをして実は楽観的なわたしと正反対だなと感じることが時折ある。

そのくせあまり人と話さないから、周囲から取っつきにくいと誤解されがちなところも、不器用で可愛い人だなと思う。本当は突然歌って踊りだすような、変なこと言ってみんなを笑わせるようなお茶目な人なのにね。

彼女がみせる優しさや気遣いを尊敬している。自分を犠牲にして、他人を思いやるような人なのだ。いつも自分を一番優先にして動いてしまうわたしと、そこも真逆だなと思う。

いつも天真爛漫な彼女が、悲しい過去の話をしたことがあった。「どうしてずっと言わなかったの?」と聞くと、その話をすることでまわりを悲しい雰囲気にしたくなかったと言った。それはどうにも彼女らしい答えで、わたしはなんだかものすごく納得してしまった。

そうやってわたしたちは全然似てなくて、だからこそずっと彼女のことを知りたいと思い続けている。

わたしたちは言語で通じあえなかったから、なにか違うところでそれを補い合っていた気がする。前に共通の友人が、「あなたたちはお互い英語が第一言語じゃないから、それを越えて会話をしようとしているよね」と言った時があった。本当にその通りだと思った。

そうやって仲良くなれた自分たちが、誇らしくて愛おしい。それに英語が喋れるようになった今も、「あなたはわたしを、言語じゃない部分でわかってくれる」という信頼を、無意識の部分でわたしは彼女に預けているんだと思う。

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いつだって将来の話をするとき、彼女の声には絶望が混ざっている。わたしはそれを、とても彼女らしいなと思う。

出会った頃、その絶望に対してわたしは何も言うことができなかった。でも彼女の気持ちを、おこがましいかもしれないけど、そのときのわたしは理解できていたと思う。だってわたしたちがいる場所は、ものすごく似ていたから。

異国にお互いに一人ぼっちで、これからどうなっていくのかわからない。でも自分で選んだことだから、何も言い訳できない。歩いていく道には霧がかかって、途方もないくらいに長く長く思えて、本当は逃げ出したかった。道と呼べるようなものがあるのかすら、疑わしかった。

でも結局、わたしたちは歩いてきた。一人だと思っていたけど、気がついたらそうじゃなくなっていた。

手を取り合ってなんて表現は似合わないけれど、鼻歌まじりで時には楽しくなって踊りだしちゃって。たまに休んで、急かしあって。たぶんお互い無理していた日もあったけど、気がついたらほらもうゴールが見えるところまで来てしまった。

それなのに四年経った今も、彼女は絶望を口にする。そしてそれを、わたしは理解できてしまう。だってわたしたちはやっぱり、同じような場所にいるから。

だけど今はもう言えるようになった。「わたしたちこれまで全部やってきた。無理だと思ったけどできた。だからこれからも絶対大丈夫。」って、わたしはこの前ついに言ってやった。

それを聞いた彼女が「わたしたち、一緒に行こう」と言った。

そんなの初めてで、嬉しかった。

そのときわたしは「You Never Walk Alone」という彼女の好きなアーティストの曲を思い出していた。その歌はなんだかとてもわたしたちで、これからどれだけ時間が経っても、それを聴くたびにわたしは彼女を思い出すんだろうと思った。

卒業したらもう今みたいに会えなくなって、お互い知らないところで生活して、怠惰な彼女はわたしの返信もろくに返さなくなるんだろうけど。たまにそうやって一緒に歩いてきた日々を見つめ返して、楽しかったこともしんどかったことも糧にして生きていくんだと思った。

これから先ずっと、それだけは変わらないでほしいと思った。

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今年、彼女と一緒に誕生日を祝いたくて、彼女に会いたくてわたしはイギリスに帰ってきたようなものだった。馬鹿みたいに聞こえるだろうけど、わたしにとっては大事なことだった。

コロナのせいでいろんなことが制限されても、一緒に23歳になりたかった。だってこれが、わたしたちの最後の誕生日になると知っていたから。

同じ年同じ月の、24日に生まれた彼女と26日に生まれたわたし。四年前から毎年約束の、まんなかの25日はわたしたちの日。

ここまでこれてよかった。おめでとう23歳のわたしたち。まずはめいいっぱい褒めてあげよう。わたしたち、本当に本当によくやった!

こんなに綺麗に書いたけど、普段は面白いくらい薄情でマイペースなやつだな、くらいに思ってる。遊びに誘っても「見たいドラマがあるから今日は無理」って言うし、わたしの熱がこもったインスタのDMにめんどくさくなってハートスタンプだけで返すし、かというわたしもこんなの恥ずかしくて絶対言えない。

でもやっぱり、とてつもないくらい感謝している。一番最初の日からずっと、変わらず友達でいてくれてありがとう。18歳のときに単身イギリスに飛ぶことを選んで、しかもこの大学を選んで、あの日オンボロハウスでわたしと出会ってくれてありがとう。

そしてそれからずっと、わたしと一緒に歩いてきてくれてありがとう。

それでもこの先またどうしようもなく一人だと、わたしたちが初めて出会ったあの日みたいに感じるときがあるんだと思う。

でも本当はそうじゃないって知っていてほしい。そりゃ現実は厳しいけど、絶対どうにかなるから、わたしが保証するから心配しないでほしい。

だってわたしたちはもう、一人で歩かなくていい。

数えきれない程の思い出を共有しながら、続いていく日々の話ができることをとても幸せに思っている。そしていつもたくさん笑わせてくれる彼女に抱えきれないくらいの幸せが降り注ぐようにと、これから先ずっとずっと願っている。

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