よそおうことは隠すこと
いつか読んだ小説の一部に
そんな趣旨の表現があって、ときどき思い出す。
どんなタイトルだったか、物語だったか忘れた。
「よそおう」は「装う」なのか、「粧う」だったかひらがなそのままだったかさえおなじく。
けれど、この表現自体はそれほど重要ではない(と思った)シーンであらわれていたことだけは覚えているし、スッと馴染んだ言葉だったのだろうと思う。
この言葉に対して「いや、それは極論じゃろ!」とも「なるほど、そうかも」とも思ったけれど、だからといってなぜここまで記憶に残っていたのだろう。
誰か知っていたらどんな話だったか教えていただきたい。
もしかしたらそんな些細な動機で、今まで関わってこなかったタイプの人と繋がることもあるかもしれない。
おもしろいなあ。
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