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「効率化を求めるなら死ね」

みなさんは効率を求めて生きているだろうか。タイトルがかなりのパンチラインをかましていて答えにくいだろうが、効率が良いのは良いことだろうか。

効率の良いモノ
これは往々にして良いものとして重宝される。スマホ。こんなものは効率化の頂点にあるものだ。一台あれば、メールもカメラもゲームも可能だ。ハイブリッドがすぎている。そして今やそれは一人一台が当たり前だ。

効率の良い人
これは各コミュニティで1人はいて欲しい存在であろう。段取りを素早く考え、チャキチャキ動いてくれることでコミュニティが円滑にまわる。

そう、効率化は往々にして良いことなのである。それは間違いない。では、効率が良いことの行き着く先、効率を求め続けた先はどこなのか、と考えを敷衍させる。良いことが行き着く先は良いことであろう、しかし

行き着く先は「存在しないこと」ではないか。と考えるわけだ。あれあんま良いことではないんじゃないか。

我々、人は「存在しない」ならばなんのエネルギーも必要としない。無駄なエネルギーを使う必要はなく。それ故摂取する必要もない。とても効率が良い。そもそも存在しないのだから効率を良くすることを考えなくても良い、それも効率が良い。だんだん小泉構文みたくなってきたから止めるが、とどのつまり「存在しない」こと以上に効率が良いことはないのだ。

勿論明らかに効率が悪いものや複雑なことがらの効率をあげるモノや人はいるべきだが、最近は効率化しなくて良いものまでも効率をあげようとし、よくわからない状態になっている場合もあるのではないか。そのようなモノやヒトは「存在しない」方がましだとなる。

そんなことを考える自分であるので効率を重視しすぎていると毛嫌いしてしまう傾向がある。今の大学に入ったのも、受験問題、ひいては大学での学びがどちらかといえばじっくり考えることに重きを置かれていたことが一因としてある。共○テストとかいう効率化を凝縮して、冊子にまとめあげたようなテストは大嫌いだった。毎回内心憤りながら解いていた。(だから毎回低かったのかな)私は効率化を嫌ってむしろ非効率な道を選択することがよくある。

信号が青でも急いでいくようなことはせず、のんびりと行き、それでも青だったら渡るし、赤になりそうなら渡らない。バスや地下鉄に乗り遅れそうでも特別な場合を除いては間に合わせようとはしない。勿論友人などといる時はその人にあわせて急ぐこともあるが。チャリなんて徒歩くらいのスピードでこぐ場合もある。

それは先に述べたように効率化に対する虚無的考え、そして非効率的な所業こそが人間らしい行為であり人間にしかなせないことであると考えるからである。

そう、ここで言及したいのはそのことだ。タイトルや先に述べた理論でゆくと効率の良さを追求する人は死ね。と過激なことを言っているように思われるかもしれないが、完全に効率に毒された人というのはおそらくいない。(モノはあるかもしれないが笑)必要最低限のお金を貯め、必要最低限の食事をし、必要最低限の会話をし、必要最低限の睡眠をする。そんな人に好んでなろうとする人はいないだろう。おそらく、みんな旅行に出かけたり、友達と遊んだり、美味しいものを食べに遠くに行ったりするだろう。
これは非効率と言われればそうであるが、その非効率なこと、趣味などにこそその人特有の性格、傾向が表れ、まさに人間らしさが現れると思うわけだ。

(ただ、ここまでくると何が効率が良く何が悪いのかわからない、精神の充足とかストレスの解消という点では効率が良いのか...?ただここではそのような趣味をすることも本来必ずしも必要でないことをしていると考え非効率の部類にくくる)

以上で述べた解釈は以前にこのnoteであげた「エントロピー増大の法則に抗う人間の生」の主張の延長上にある議論であるということでも私は腑に落ちている。以前述べたのはエントロピー増大の法則(世界の森羅万象は放っておくと複雑化してゆくという法則)に抗うのが人間の生ではないかという主張である。例えば、部屋が散らからないように掃除するし、肌が荒れないようにケアをするし、町が無秩序にならないように警察が取り締まる。そして抗えなくなった時に「死」を迎えるのだ。体内に発生したがん細胞に対処し安定した状態に戻せなければ死ぬし、いじめなどによって複雑化、カオス化する自分の精神状態を整えられなくなった人は自ら命を断つ。

今回私が投げかけたのはエントロピー増大の法則に抗うことの行き着く先はこれまた「存在しない」ことであるということになろう。

エントロピー増大の法則に抗うことができなくなったら「死」だし抗いすぎたら「存在しない」となる。じゃあどうすれば良いかということであるが、そこは程よく調整してゆくべきだ。先述べたように非効率な挙動をしてみるといったことも人間らしく生きる上で大事なことではないか。
この文章も期末レポート3本を書くために入った図書館で書いている。非効率ったらありゃしないがそこに自分の個性がでていると信じる。
これからも程よく効率の悪さを取り入れていきたい。

という効率が悪い人間からのアンチテーゼだが効率の良いみなさんはどうお考えか。


P.S.
ところで私は無出生主義である。生まれてこなければ良かったとは微塵も思っていないが、論理的に「存在する」と「存在しない」を感情を抜きにして比べたら後者の方が良いと思う。だから今回の考えをもとにすれば私もどこかで効率化を求めているのかもしれない。

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