見出し画像

ひろしま神話(Toshi 山口)<第5話>

妖怪

デンマークからきた女子大生が飛び入りで参加してきた。日本の葬儀をテーマに大学の卒業論文を書いている途中だと言う。そのために日本各地を取材中で、ひろしまに立ち寄っていた。市内のゲストハウスに一週間、滞在する予定でいた。偶然そこに居合せた勉強会のメンバーから、この会のゲストとして誘われたらしい。彼女のたっての希望で、翌日、ひろしまの東部にある斎場「平安館」を訪ねることにした。しかし外国人には、原則として施設を公開してないらしい。説得を試みたが、その日のうちに結論が出ないようなので、ざっと館内のロビー辺りを眺めるだけにして、施設内の見学は諦め、帰ることにした。バス停のある通りまで、彼女と坂道を歩きながら、日本の葬儀に興味を持った理由を尋ねてみた。宮崎駿監督のアニメーション映画「もののけ姫」を観たのがきっかけだったと彼女は答えた。そういえば、日本人の死生観について書かれた英文の中に、「タカマガハラ」と言う言葉がよく現れた。
 土地の人は、「平安館」を「タカマガハラ」と呼ぶときがある。
 「もののけ姫」は、アニメーションと言う手法で描かれた強烈な文明批判であり、日本の葬儀の様式や習慣、あるいは「死生観」を直接テーマにした作品だとは思えないが、印象的なキャラクターと美しい映像から受ける心象に、われわれ日本人であっても、確かにそう連想させるイメージが含まれてないとは言えなくもない。
 日本とは全く異なる文化圏において、「もののけ姫」と言う作品が、例えそのように目に映ったとしても否定はできないだろう。文化のギャップはこういうところに、平気で顔を出してくる。
 "大きな溝"を痛感するときであるが、これには時間をかけて、慣れるしかない。
 後日、彼女は偶然にも勉強会のメンバーの家族の葬儀に運良く参列することになった。葬儀は相生橋から近い寺町にある浄土真宗の寺で行われた。告別式のあと、親族の計らいで、用意された車に便乗させてもらい、なんとか「平安館」を見学する機会を得たと言う。後で聞いてホットした。こう言うことでもなければストレスの種になる。

 J・M氏がどこで手に入れたのか三次市にある「妖怪ミュージアム」のチラシを持ってきた。ここに行ってみたい、と言う。英文による説明はないから、写真や図柄だけを見て、何かの刺激を受けたのだろう。とっさに、デンマークから来た女子大生のことを思い出した。
 「湯本豪一記念 三次妖怪博物館・三次もののけミュージアム」と言うのが正式名称である。日本初の妖怪博物館で、広島県北部、三次市で今やもっとも注目を集めるツーリズムスポットになっている。日本最大を謳っていた。
 J・M氏は、国学者「本居宣長」や「平田篤胤」のことが頭の片隅に残っていたらしく、古代神話の伝説とこの「もののけ」、「妖怪」とがチラシを見たとき結びついたらしい。英語なら、これらは「ミステリアスな自然界の生き物」である。「菅原道真」の詩にも、それらを連想させる叙述があった。例の不思議な蛙がそうである。類似の図柄や紋様は、古い地層から発掘される土器の類いにも見られる。それらは外国人にとっては、不可解だけれど、何かしら強い印象を受ける特別な対象となって、意識の内にいつまでも残り続ける。と同時に「もののあわれ」と言う言葉が想起する「何か」の実体として彼らに映るらしい。日本の歴史、あるいは固有文化の骨格を貫く、普遍性を持った「何か」、と言うことでもあるようだ。
 公益の国際交流機関に勤務するM・J氏が自分の車を用意してくれると言うので、好意に甘えて三次市を目指すことにした。(2020年10月10日)
 この博物館が所蔵している展示品は、江戸時代、三次市を舞台に描かれた妖怪物語「稲生物怪録」と絵画、錦絵、焼物など5.000点で、民族学者、湯本豪一氏から寄贈を受けたものだと言う。
 J・M氏は照明の落ちた館内の展示コーナーを食い入るように見つめながら歩いて回っていた。
 和風レストランで同席の外国人に代わってメニューを見ながら、料理を頼むのとは勝手が異なって、このような博物館の展示物を、要領を得た英語で説明するのは、正直言って至極困難である。
 ある展示コーナーの説明パネルに「平田篤胤」の名を発見した。そのことを彼に伝えると首をゆっくり上下に振り、うなずいた様子だった。勉強会の成果は、こんなところに少しずつでてくる。彼の意識の中では、「平田篤胤」と「もののけ」、「妖怪」とがようやくここに来て、近づいてきたのだろう。むろん外国人としての認識である。
 スクリーンに妖怪を映し出すデジタル・ラボがあった。入り口で塗り絵の用紙をうけとり、それに好きな色をクレヨンで塗り入れて、妖怪の絵を完成させると次にそれをスキャナーで読み取り、壁面の大型スクリーンに投影すると言う最新の映像システムが、このラボには設置されている。有料だが、参加者は、自分があたかもアニメーション作家にでもなったかのような気分を味わえる、と言う嗜好だ。
 三人が三様、それぞれお気に入りの妖怪の輪郭に色を塗り込んだ。
 塗り絵の
 妖怪に化けるは
 いとおかし

もののけミュージアム

 三次市には、「頼山陽」の叔父「頼杏坪」が住んでいた居宅が現存している。妖怪ミュージアムの見学を終えたあと、そこを訪ねた。外観を観て庭を出ようとする我々一行を案内人の人が引き止め、座敷の中に案内してくれた。訪ねた甲斐があった。玄関先の広間では、近所の児童を集めて習字の教室を開いているところだった。訪問者に外国人がいるのは珍しいのか、パンフレットを買うと、予約をしてないのに、抹茶と和菓子で歓待を受けた。

頼杏坪


J・M氏は、日本のアニメーションにも強い関心を持っていて、アメリカの作品と機会あるごとに比較して話した.
 小資本がインターネット上で配信するいわゆるポッドキャストと呼ばれるジャンルがある。このチャンネルには無数の作品が投稿されている。英語の自習には持ってこいの教材にだし、外国人の感性を知る上で参考になると、勉強会の外国人からよく勧められた。
「バンパイア・キャッツ」と言うタイトルの短編アニメーション動画をようやく一つだけ観た。やっぱり日本のものとは異質なものを感じた。感性は磨けば洗練されるし、ストーリーは練り上げて行けば、厚みを増してくるだろう。しかし、それらは作品の所詮、二次的な要素である。 
 両者に差の生まれる決定的な要素とは、なんだろう。それは、我が国に所与のものとしか言いようがない。
 バンパイアとは吸血鬼のことで「もののけ」、「妖怪」とはカテゴリーが異なる。いくら頭をひねっても吸血鬼は、"もののあわれ"の国に生息する自然界の住人だとは認め難いだろう。ゴーストは、黄泉の国からの遣いだ。
 J・M氏は、思うところがあってか、15年間暮らしたニューヨークを離れ、スリランカ、中国、韓国に長期間滞在しながら、各国の宗教、伝承、民族について学んできた。現地の学識者とフィールドワークを多くこなしてきた経験がある。しかし、いずれの国においても日本の「もののけ」とか「妖怪」に該当するようなものは、彼の知る限り、心当たりがないと言う。スリランカの一部の地方に、古くから語りつがれる伝説をアニメーション映画として商品化しようとする試みがあるが、世界中のファンを魅了するようなヒット作には至らなないと言う。
 そしてポケモンの例を挙げ、元ニューヨーカーは、我々日本人に向かって殊勝に分析してみせるのである。"あれは日本の神話に登場する「妖怪」、「もののけ」に代表される表章を最新の手法でリ・ブランドした唯一無二のものだ"と。
 我々はそういうものかと、ただ頷くだけだ。
 アニメーション業界は、資本がものを言うものとばかりだと思っていたがそれだけではなさそうだ。
 それからすると、日本人が中国のカンフーに倣って映画をつくったところで大きなヒットは、期待できないだろう。やはり何かが違うのだ。

 妖怪さん
 おぬしは何処の
 お生れぞ


 "もののあわれ"は、また「わび」「さび」の境地にもつながると言う。「浄瑠璃」や「文楽」にもそれは共通していると言う意見が勉強会でも出たが、その時は、もう少し言及が足りないように思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?