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ひろしま神話(Toshi 山口)<第7話>

Rai Sanyo(2) 「漢学」「国学」「蘭学」


「頼山陽」は、著作をなぜ漢文で書いたか。当たり前のように思われるが、そう問われてみると、これも難しい問いである。勉強会でもいつもそれが話題になった。理由があるとすれば、徳川幕府は、「漢学」を武家の教育に必須の学問として重んじていたことだろう。
 「頼山陽」は、武家の家に生まれている。
「漢学」とは、漢文で書かれた中国の古典、漢籍によって学ぶ学問である。
 「頼山陽」が二歳のとき、叔父である「頼杏坪」から為政者としての心構えを説いた「大学」の素読の教授を受けている。「頼杏坪」は、なかなかの啓蒙家であり、また教育者だった。僅か2年に満たない短い期間だが「頼杏坪」に伴われて江戸に遊学している。母「頼静子」の実家は、医者だし、父「頼春水」も浅野藩に請われた儒学者だった。「頼山陽」の家系は、先祖を敬愛する儒教の崇拝者であった。「頼山陽」は、生まれながらにして、「漢学」にどっぷり浸かった家庭環境の中で育っている。「頼山陽」にとって漢文で物を書くということは、日常会話で使う言葉で書くのと同様、ひどく簡単なことだったと思える。しかし、そのことと、「頼山陽」が、幼くして、武士として、公務の職に就くことを望んでいたかについては、別の問題だろう。「頼山陽」は、反対に、それを望んでいなかった。そこに「頼山陽」の資質がある。いや、公務向きの精神の持ち主ではなかった。「頼山陽」は、「日本外史」を着想する前から、中国の古典に親しむことによって漢文で歴史書を書く上で欠かせない用語、文法、言い回し、スタイルなど多くを学びとったに違いない。しかも、鋭敏な感覚で、漢文の韻律の呼吸を直感的に掴んだ。それだけではない。「頼山陽」の洞察は、そこに著された歴史を動かすメカニズムを解き明かすことにまで及んでいる。「頼山陽」の文才を一言で表現するとすれば、一貫した歴史哲学を巧みな構成と、リズミカルな文体で生々と描いていることであろう。「頼山陽」は、「立志論」を書いた12歳の頃から、そのことを自ら強く自覚し、ひとりの自由人として文芸家の道を志そうと思っていたのではないだろうか。その後の「頼山陽」の行状からみて、少なくとも平凡な学者の道を歩む意思は、なかっただろう。いや、正確に言えば、歩めなかったと言うのが正しい。理想の父「頼春水」と理想の母「頼静子」という両親あって、この子「頼山陽」あり、である。このことは、国内外の「頼山陽」研究者がともに指摘している。「儒教」の教えを理想とする両親の長男として生まれた「頼山陽」だが、それが窮屈で、若いころは、身の置き所がなかったというわけだろう。「頼山陽」は、「頼家」に生まれるべきして生まれた才児だった。

 幕府の「漢学」を良しとしない学派が江戸時代の中期後半に現れた。この一派が創設したのが、「国学」である。武士としての身分の規範を儒教や仏教に習ったのでは、日本人としての矜持に欠ける。この一派の主張である。また一部の儒学者の中にも、その解釈を日本の精神文化に同化させる、いわゆる「儒教」の「日本化」の傾向が現れていた。これについては、中国、韓国で儒教を学んできたJ・M氏も、「儒教」の「ドメスティケーション」と言うキーワードを使っている。
 1779年、「本居宣長」が「古事記伝」の上巻を著し、「国学」の勃興運動が起きた。「国学」とは、外来の書ではない「古事記」、「日本書紀」、「万葉集」など日本古来の書に日本の起源を尋ね、日本とは何か、日本人とは何か、を問う学問である。日本と言う国を学ぶことから「国学」と呼ばれた。先のR・T氏の論文にもあった"もののあわれ"と言う外来のものではない日本人の精神、国のありようは、この「国学」に学んだものだ。神話や伝説が登場してくるが、これを今日、まるっきり根拠のない逸話として一蹴してしまうのは、あまりに工業化された社会を生きる我々の想像力の貧困を語るものであろう。江戸時代後期の日本におけるこの古典回帰への運動は、神道の始まりとされる古道を復古させ、幕末の尊皇論へと発展していく。14世紀、イタリアのルネサンス運動がギリシャのヘレニズム文化に範を求めたのに対して、「国学」一派によるこの復古運動は、自国日本の内に内在するものへの希求が、国家の創成期への回帰となって現れたことに特徴があると言えるだろう。

 「漢学」は、中国の漢籍に学ぶ学問であった。「国学」は、日本の起源に学び復古を求める学問であった。また、当時隆盛した外来の学問に、「蘭学」がある。「蘭」とはオランダのことで、徳川幕府が認めていた西洋では唯一日本と国交のあった国である。オランダを介して日本に入ってきた西洋の最新の医学や科学について学ぶ「蘭学」は、江戸の知識人の好奇心を大いに刺激した。それでなくとも江戸時代は、遊びとして学問を楽しむ趣味人が多くていたようで、解答を競い合う和算のコンテストなどが人気を呼んだ。「蘭学」はブームに便乗したものとは思えないが、多くの「蘭塾」が開塾し、後世に名を残す蘭学者を輩出した。1774年.「杉田玄白」らはオランダ語で書かれた解剖学書「ターヘル・アナトミア」を処刑場で人体解剖に立ち合いながら、苦心の末に漢文に翻訳し、「解体新書」を発表した。同じく、その周辺にいた「平賀源内」がエレキテルと称する電気の科学実験を行った。江戸の人びとを前にして行った日本最初のサイエンスショーだったとも言える。「蘭学」の先駆者であった「杉田玄白」は、晩年「蘭学事始め」を著し、「蘭学」草生期の苦悩を後世に伝えようと記録に残している。「蘭学」は、江戸の知識層に「実証科学」の扉を開いた。わかりやすく言えば、日本に初めて写実主義を持ち込んだのが、他ならぬこの外来の「蘭学」であった。「杉田玄白」の人体への探究心は、レオナルド・ダ・ビンチを彷彿とさせる。     
 私見だが、イタリアのルネッサンス期に活躍した画家達は、遠近法を発明し、自然を写実的に描写することで、絵画に新しい次元を開いた。その方法は、今日の幾何学に発展していく。イタリアに生まれた写実主義は、自然科学の発展を促し、後のイギリス産業革命へと向かう礎となったと思うが、穿過ぎだろうか。

 開国後「蘭学」は、広く「洋学」と呼ぶようになった。以降、堰を切ったように社会のあらゆる分野において西洋の知識や技術、考え方を日本は、西ヨーロッパの言語を通じて迎入れることになる。日本の伝統と西洋の近代合理主義とが融合し、この先日本は近代工業国として東洋の奇跡と言われるほど、歴史上稀有な発展を遂げることになる。「頼山陽」であってもさすがにそこまでは洞察できなかっただろう。

 「頼山陽史跡資料館」の庭に今年も梅の花が咲いた。「頼山陽」が「日本外史」の草稿を練ったと言われる居室は、ここの敷地内にある。               
 
 空を見て
 梅を見て
 詩に詠む


 江戸時代後期の幕開けは、浅間山の噴火など活発な火山活動とともに突然始まった。天候不順による凶作に見舞われ、大飢饉が生じた。多くの死人や餓死者が出た。不作の地では、一揆や打ち壊し事件が頻発し、江戸にその不満と憤りの矛先が向けられた。
 年貢米による税収不足が生じ、幕府の財政が逼迫した。商偏重の老中、田沼意次は失脚し、代わって政権を引き継いだ老中「松平定信」は、1786年(天明6年)、「寛政の改革」に着手し、この難局を打開しようとした。
「寛政の改革」とは何であったか。
 概ね次のようである。
1.緊縮財政策へと転じた。
2.学問、言論を統制した。
3.過密する江戸の人口を地方に向けた。
4.福祉に力を入れた。
5.社会基盤整備の基金を積み立てた。

 改革の主眼は、秩序を回復させて内政の正常化を図り、窮乏する人びとの不平不満を解消させることにあった。この間、フランス革命のような自由と富の公平な分配を求める市民運動が、江戸時代のここ日本では起きることはなかった。なぜだろう。
 勉強会を始めて知り得たことだが、「頼山陽」は、後年、知人に招かれ長崎を訪れている。その際、会席の場に居合わせた中国人の商人などから「ナポレオン」と思われる人物の話しを聞き、詩に詠んでいる。
 当時、一部の進歩的な知識層は、西ヨーロッパで何が起きていたかを知っていたはずである。徳川御三家の一つ、水戸徳川家当主、「徳川光圀」は、水戸学派を日本初の本格的な歴史書、「大日本史」の編纂事業に就かせ、一部を幕府、天皇に献上している。明治に入ってもなおこの事業は続けられ、尊王攘夷論で貫かれた史観は、幕末、明治の思想にも大きな影響を与えたとされる。
 江戸時代後期の出来事の数々は、この先幕末の開国まで、日本が、内観を照らし内向していてく時代に差し掛しかかっていくことを告げる予兆であったのではないだろうか。オランダ以外のロシアなどの外国の使節を乗せた船が頻繁に通商を求めて本土に接近してくるのも、このころからである。その度に外来者との摩擦が生じ、攘夷論に火を注いだ。 
 江戸時代後期とは、およそ1770年から1855年くらいまでの約80余年の期間を指すと思われるが、同じような出来事は、「寛政の改革」以降も起きている。
 勉強会では、「頼山陽」が長崎で「ナポレオン」らしい人物について、何かを聞いていたこと、また、水戸学派の「大日本史」と「日本人論」のことが口癖のように話題に登った。多感で文才に長けた「頼山陽」がこの時代、いかに奔放な人生を送ったかは、ここでは問わないし、「頼山陽」の人となりについては、今後の機会に譲ろう。
 「頼山陽」が「日本外史」を起稿したのは、「頼山陽」が21歳の時である。1801年。江戸時代後期の中盤に差し掛かったころである。


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