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分相応のハナシ

気に入っているシャツを着ているときに限ってカレーうどんが食べたくなる。私とて男だ、服が汚れるからという理由で食べたいものを我慢するほど軟弱でも人間が出来ているわけでもない。今日こそは男らしく勢いよくすすってやると意気込んで店に入ったはいいものの、可愛らしい女性店員さんが運んできた熱々のカレーうどんを前に箸がすくんでしまった。

物を購入するときに私は常に分相応を考えるようにしている。
昔から物持ちは良い方だがどういうわけか、欲しくてたまらなかったものだったり、少し背伸びをして買って大事にしているものほどすぐにダメになる。そしてダメになるたびに最愛の恋人を失ったような気持ちになるのだ。それが嫌で物を買うときはそれを消耗品として割り切れるかを指標としている。欲しいものを見つけ財布に余裕があっても、買った後過度に大事に思ってしまいそうなものはまだ私はこの商品を買うには分相応ではないと心がけるようになった。

であるとすればこのTシャツだって消耗品として割り切って買ったものだから、カレーの汁くらい何のその。1シーズン持てばいいと覚悟して買ったはずだ。それよりもあの可愛い店員さんに男らしくないと思われるほうが死活問題である。

私の中で優先順位が明確になりカレーうどんを勢いよくすすった。汁が宙を舞いシャツに付く。何も気にせず、うどんをすする。なんと心地よいことか。そう、シャツに付いたカレーうどんのシミは戦いの証であり、男らしさの象徴なのである。このシャツは1シーズン持たないかもしれないが私はそれ以上のものを得たようだ。帰りに件の店員さんに心の中でありがとうを言い、憑き物が取れたような清々しい気持ちで鼻歌交じりに店を出た。

そう、あれは一生ものと大事にしていたブーツにカレーがべっとりついているのに気づき女の子みたいな悲鳴を上げるちょうど1時間ほど前のハナシである。

<今日のまとめ>
分相応とは物を大事にしなくてもいいということではない。

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