ウララ ウララ ウラウラで

こんにちは、アラカンのおかんです^^ コロナで経営していたゲストハウスのお客様がほぼゼロに😵日々悪戦苦闘しながらもほっこりしたものを書いていきたいと思っています😄

大好きなリンダさん

ウララ ウララ ウララで ウララ ウララ ウラウラよ

ウララ ウララ ウラウラの この世は私のためにある

歌手 山本リンダさんの「狙い撃ち」の歌い出しです。この曲は1973年に発表されました。当時小学生だった弟が、テレビの歌番組で山本リンダさんが「ウララ ウララ ウラウラで」と、歌い始めると、テーブルの上に乗り、腰を振りながら一緒に歌っていました。家族は「あー、始まったあ」とゲラゲラ笑いながらメガネ姿の弟を見ていました。

リンダさんの軌跡

リンダさんはハーフで、お父さんはアメリカの軍人でしたが1歳の頃に戦死しています。お母さんの手によって育てられました。当時はハーフがめずらしかったので、いじめにもあったようです。そんなとき、近所の人が雑誌のモデル募集の記事を持ってきてくれました。応募すると、期間限定でしたが契約が決まったのでした。そうして、モデル事務所に所属し、元々歌が好きだったリンダさんは、歌手への道へシフトしていきます。15歳で「こまっちゃうナ」で歌手デビューしますが、その後売れずに苦労します。1972年に、作詞家の阿久悠さんと、作曲家の都倉俊一さんとの名コンビによる「どうにもとまらない」を発表すると見事に大ヒットし、NHKの紅白歌合戦に出場します。その翌年に発表されたのが、この ウララ ウララ ウララで の「狙い撃ち」です。この年もリンダさんは紅白歌合戦に出場しています。当時はNHKの紅白歌合戦への出場は、歌手として認められたことを意味していました。

それ以上の魅力

リンダさんはおかんより年上ですが、今でも、いやそれ以上に、素敵でチャーミングな歌手です。デビュー当時の「困っちゃうナ」を歌ってた頃のちょっとおませで、舌足らずな頃より、ずっとずっと、大人の女性として深みが出て、魅力的になりました。歌唱力やプロポーションを維持するのにも、ボイストレーニングや自転車で坂を上ったりと、日々努力されているようです。そんなリンダさんにこれからもエールを送りたいです。「リンダさーん、大好き!このまま突っ走ってー!」おかんも元気に、ウララ ウララ ウラウラで といきます。

すごいパワフルで悩殺!!😄

さいごまでお読みいただきありがとうございました。スキやフォローもしていただけると励みになります。それではまたね。ばいばーい😃




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