雀荘バイト

麻雀大好き大学生あるあるとして雀荘バイトの経験は結構共感されると思うんだけど実は私もそういう経験がある。といっても大学1年生のわずか半年たらずの期間だったのでエバって言うほどのことでもないんだけれど。

当時、大学生になったらアレしたいコレしたいと色々あるなかで上位にランクインしていたことが雀荘バイトだった。きっかけは浪人時代だ。この浪人の原因も麻雀ばっかりしてろくに受験勉強しなかったこともあるので我ながら情けない話なんだけれども。とにかく浪人時代を某地方都市で過ごすことになるのだけど、そこは地元の麻雀仲間も数多く進学先として選択されるような街だったのでセットを組むメンツには事欠かなかったんだけど地元の僻地とは違いフリー雀荘がいたるところに点在していたので関心は当然フリーに向かうことになる。

今でこそ麻雀のイメージはそこまで暗いモノではないかもしれないけど当時は得体のしれない怖い場所というネガティブなイメージが先行していて何だか知らないうちに有り金の大半を取られるようなボッタくりバーみたいな場所も存在すると勝手に推測していたので私はかなり警戒していた。



更にこんな訳のわからない隠語の看板が必ずあったので余計に色んな憶測を呼んで恐れる人も多かったのではないだろうか。

私の学生時代は低レート店はあまりなく(東京では既に主流だったのかもしれないけど)当時住んでいた街で見かける店はたいていピンの店ばかりで2ピンも普通にあったし後に知り合う怪しげな人に連れられて行った地下にある怪しげな店は3ピンだったこともあった。

ただ、この時代くらいから低レート店が徐々に増え始めギャル雀が大ヒットとなるのだがここでは割愛。

浪人時代は同じ寮に地元の麻雀仲間もいたので一緒に近所の某場末店に通うことになるのだが同じ年格好の従業員Yさんが妙に貫禄良く見えて彼を観察するようになった。Yさんは牌捌きも格好よく初めて間近で見る外切りは私を虜にした。寮に帰ると私は消しゴムで外切りの練習に没頭した。(勉強しろ)
ある日、部屋のポストに手紙が届き隣人から「夜な夜な何かを叩きつけるような音がうるさくて勉強に集中できない」といった苦情が届いたくらいだ。

浪人当初は心を入れ替えて国立大学を目指して国公立大学コースを選択して5教科の勉強をしていたのだが夏を迎える前に古文漢文と地理・歴史に挫折し習得したことといえば外切りと小手返しと片手で配牌を取ること(当時はアルティマなんてなかった)だった。私はまたしても麻雀の魅力に屈してしまったのだった。

こうして場末店に通ううちにほとんどの従業員と仲良くなり色々話を聞いていると意外にも高学歴の従業員が多くYさんも高校三年生時代のセンター試験は9割以上の得点だったらしく現役の国立大生も在籍していることを知り雀荘バイトする大学生はその店に認められたカリスマだと勝手に思い込んだ私は大学に入学したら雀荘バイトをすることを意識し始めたのだった。ただし常連同士で顔馴染みにもなっていたのでバイトするなら別の店にしようと密かに決めていた。

無事大学に入学した私は合コンしたいとか彼女作りたいとかサークル活動とかの華やかなキャンパスライフにはほとんど興味なくて相変わらず場末店に通い麻雀ばっかりしていた。
大学に入学して間もなくできた学友達は大学生活に慣れると同時にバイトを探し始める。だいたい居酒屋を中心とした接客業が多くて時給の良い家庭教師なんてのもいた。私もいくつかのバイト情報誌をコンビニで購入して雀荘の募集がないか探し始めた。雀荘バイトはなかなかなくて妥協して居酒屋とかにしようかとも思ったけど諦めきれずにしばらくはフラフラしていた。

ある日いつものように発売されたバイト情報誌を眺めていると某チェーン店の募集広告があることを見つけた。当時の平均時給は700~750円くらいでコンビニの日勤で650円くらいで、そこは破格ともいえる850円だった。ただ、ゲーム代バックなんて当然なかったので実際は決して高くはないのだが。そのチェーン店はルールが少し特殊で高校時代の夏休みに麻雀仲間が進学先の候補となる専門学校の下見のために訪れたついでにフリーデビューを果たしたチェーン店で数回で20K程度負けたと聞いていた。そしてセットが非常にリーズナブルだったのでバイト募集していた当該店とは別の店でセット利用したことがあった。場末店とは全く雰囲気が異なり客層はサラリーマン中心で紳士の社交場みたいな感じだったので不安はあったがこの機会を逃すと雀荘バイトはいつになるかわからなくなるので思い切って面接を申し込んだ。

当日は店長が対応してくれて奥のセット専用卓へと案内された。いくつか質問された後に「じゃ一局打ってみようか」ということになり二人麻雀を打つことになった。もう配牌も覚えていないが私は国立大学断念と引き換えに手に入れた外切りで目いっぱい格好つけて打った。7巡目くらいで19字牌しか捨てていない店長が突然リーチしてきた。私は放銃したら面接不合格なのかと想像しながらもどうせ切る牌がないからと半ば開き直って真っ直ぐ打つことにした。無スジを何枚か通して不思議と放銃もせずテンパイした私はリーチを宣言した。その時は面接のことは忘れていて麻雀に夢中だった。すると店長は「はい、いいよ。じゃ手牌開けてみて」と言った。我に返った私は言われた通り手牌を開けた。確かピンフドラ1くらいの手だったと記憶している。店長はしばらく私の手牌を眺めた後「ふーん、じゃ明後日から来れる?」と聞いた。

こうして念願の雀荘バイトに就くことが出来た私はドキドキしながら初日を迎えた。その店は従業員とは別に何人かウエイトレスのアルバイトがいて全員歳も近く可愛かった。当時でいうとコギャルな風貌でとても愛想が良く店内はその数名のコギャルのおかげでなんとなく華やかだった。私はコギャルそっちのけでお客さんや他の従業員の麻雀ばかり見ていた。そして仕事しろとちょくちょく叱られた。雀荘バイトは場末店とは違い結構忙しい印象だった。なにしろ客層が違うので細かな気配りが必要だった。灰皿の交換の目安はタバコ2本だったり、来店時の挨拶やエレベーターホールでの見送り、特定のお客さんのオリジナルメニューみたいなのもあった。例えばほとんど毎日来店される不動産屋の社長さんが「玉露」といえばワンカップ大関を熱燗にして専用の湯呑みに移し替えて出す、みたいなこともあった。

常連客も従業員もユニークな人ばかりで退屈しない。なにより好きな麻雀に囲まれてなんて楽しいバイトなんだと、これは自分にとって天職だと思った。16-26時というかなり変則な勤務時間だったが全く気にならなかった。

22時で夜番と交代となるのだが店長も仕事のキリが良ければ同じタイミングで退勤となるので店の雰囲気も一気に変わる。あまりハメを外さなければたいていのことは許された。私入れて5人体制になるので深夜帯に1卓しかなければ一人が立ち番、残り4人で勉強会と称してセット麻雀をする。この勉強会は恐ろしいことにレートが乗っていた。そしてサイドテーブルには好きなドリンクやセット客に提供するお菓子も乗っていた。私は従業員NGとされていたカフェオレ(確か牛乳はお客様専用のため)にガムシロップを入れまくってがぶがぶ飲んだ。もちろんゲーム代は無料。私はこんな楽しい職場があって良いのかと思った。退勤時間になったらタイムカードを打刻してそのまま朝まで居座ることもしばしばだった。夜番の責任者の人に可愛がられていて夜番の退勤まで適当に時間を潰してラーメンを食べに連れて行ってもらったりしたこともあった。お客さんからしても中年の従業員ばかりの中で学生風情の坊やがいることが新鮮だったせいか色々と良くしてもらった。

学生バイトにとってこの職場はこの世の桃源郷ともいえる程楽しかったのだが従業員の入れ替えがとても著しい。正社員の転勤は避けられないし麻雀に負け過ぎて辞めていく人も少なくない。頻繁に新入社員がやってくるがなぜか中年層が多く不思議に思っていた。中にはとてもくたびれた初老の新入社員もいて聞いてもいないのに身の上話を私にしてきた。

・名前は偽名である
・昔は会社を経営していて色んな贅沢をしたことがある
・会社が倒産してからは家族と離れて色んな職を転々としている
・経営者時代に高レートで培った麻雀には自信がある

まさに↑に近しい世界観。どうやらこの職場、若くない人は何らかの原因で人生に躓いた人であることが多いらしい。そして常連客の中には昔ここで働いていて再起した人もいて日々お気楽に生きている自分がちっぽけに思えたりもした。

ある日、Mという新入社員がやってきた。私よりも1個下だったか、同い年くらい。北陸だったかの米問屋のドラ息子らしい。いつもヘラヘラしていて世間知らずでちょっと目を離すとよくわからないダンスをしていて何故この業界に来たのか謎だった。当時の私も人のことを言えた義理ではないが私の場合はかなりの麻雀好きが常連客や従業員から早い段階で認知されたことで多少のことは目をつぶって受け入れてくれたのだと思う。Mの場合はろくに仕事をしないだけでなく誰に対しても馴れ馴れしく常連客からのクレームもあったので常に叱られていた。

そんなMが仕事に慣れてきた頃、初めて本荘を任された。いつもヘラヘラしていたMの目つきが変わり真剣な表情で麻雀に没頭していた。牌捌きはお世辞にも綺麗とは言い難いが彼自身としては麻雀に自信があってこの業界に来たのだろうと感じた。残念ながらその日は運に見放されていたのだろう、ラススタートから入り一度もトップ争いすることなく店長のTKO判断により別の従業員と交代することになった。正社員には麻雀で月給を超えて負けないようにアウトの上限額が決まっており、だいたい逆算して週にいくら、一日あたりの目安はいくらといった具合で責任者の采配があるようでMをこのまま打たせることは出来ないと判断されたらしい。Mは卓から離れるなりしばらくトイレに籠り出てこなかった。どうやら悔しくて泣いていたらしい。

その一件以来私はMへの見方が少し変わった。私は麻雀に対して熱い人間は好きだったしMも歳が近い私に対して関心を持っていたらしく私たちは一時仲が良かった。休日に一緒にフリーに行ったり彼に連れられて洋服を見に街に繰り出したりした。当時は古着アメカジブームで私もお金がなく1000~3000円そこそこの古着ばかり着ていたがMはドラ息子っぷりを存分に発揮しアンダーカバーやグッドイナフといった二十歳そこそこの若造には似つかわしくない裏原系のブランドショップを中心に私を連れまわした。土地勘がないはずなのに妙にアレコレ知っていた。更に金銭感覚もおかしく麻雀の成績も良くないのに不思議だったが深く詮索はしなかった。

その後もMは麻雀で惨敗するとトイレに籠り泣いた。従業員からも嫌われていた意地の悪い常連客はそれをイジっていたが、ある日Mはその常連客の卓が一人空くや否や1入りを名乗り出た。しばらくは一進一退を繰り返していたが、ある局で常連客が先制リーチをすると中張牌から切り出していたMが突然牌を横向きに叩きつけた。私はどちらの手牌も見えない位置で眺めていたのだが七対子ドラ単騎で追っかけたのかな?くらいに思っていたところ間もなく常連客がツモ切った1sにMが声をかけた。

「ロンホウ。リーチ国士・・・(裏ドラをめくりながら)裏はサービス」とやってしまったもんだから常連客は頭にきて負け金を投げて卓を抜けた。当然責任者は待ち席で平謝りだ。そんな責任者には目もくれずMは涼しい顔して続行していた。

お客さんを煽る言動はそういうことが許容される関係性が出来て初めて通用する行為(それでも役満直撃だと流石にやり過ぎ)だと気づかないままノリでやっていた。あるいは嫌われている常連客を凹ませたら同僚から喜ばれるだろうと勘違いしたのかもしれない。

麻雀は上達せず仕事もあまり出来ないMだったが、徐々に悪知恵だけは身に着けていった。本荘中にチップを抜くこともどこで教えられたのか頻繁に行うようになった。給料の前借りと言えなくもないが、ある時に温厚な夜番の責任者に「(集めたチップを見せながら)これで僕が奢るんでヘルス連れてってくださいよ」と言っている場面を見かけた。不真面目な従業員の行為を真似することばかり目につくようになった。勤務明けには寮に帰らず一人でどこかに出かけているようだった。麻雀の成績が良かった月は一度もないはずなのに毎日どこかへ出かける。寝不足のような様子で勤務態度もいつまで経っても不真面目だった。

私は次第にMと距離を置くようになった。私にヘルスを奢ってくれなかったからではない。その頃にはもう連れだって街に行くこともなくなっていたし大学の友人との付き合いも増え始めていたからMの存在は気にも留めなくなっていた。それでもMの勤務態度が改善されることはないままだったと思うから店長や夜番の責任者からすると相当に手を焼いていたに違いない。やがて夜番の責任者だった人が転勤になった。それから間もなくMも転勤になった。私は「あぁこれで一生顔を合わせることはないだろうな」となんとなく感慨深い気持ちになった。

ある日の夜、シャワーを浴びてPHS(今の若者は知らなそう)をチェックするとMからの不在着信に気付いた。私は折り返すかどうか迷った。Mなら突然辞めて近所にいるんだけど・・・みたいなことも十分あり得ると思ったし、最悪借金苦や犯罪の片棒を担がされるんじゃないかととにかく悪いことしか起こらないイメージが頭から離れなかったからだ。私は一旦かけなおすのはやめた。緊急性が高いならもう一度着信があるだろうと思ったから次の着信には出ようと決めた。でもそこから二度と着信はなかった。もしかしたら郷里に帰る前の最後の挨拶かなと想像したりもしたが藪蛇を恐れて私からは何もしなかった。

夏が終わる頃、私が打刻後に居座っていることが店長の耳に入り勤務時間が変更になった。土日は10-22時、平日は16-22時。退勤は店長と一緒の時間で桃源郷はあっけなく終わってしまったが店長は勤務後に夜食を食べに色んな所に連れて行ってくれた。店長はよく私に「ウエイトレスは歳が近いんだから合コンとかやって人並の大学生活みたいなこともやれよ」と言ってくれた。当時は何よりも麻雀だったから受け流していたがこのことについては今では後悔していることもある。

そんな店長から一度だけ麻雀でかなり本気で怒られたことがある。
店長と同卓すると私が勝てばそのまま、私が負けて店長がトップだった場合、私の負け分はチャラにしてくれていた。いわゆるボーナスステージでそれはそれで屈辱だったが素直に店長には麻雀のウデで敵わないと思っていたこともあり店長に甘えていた。

ある時の店長との同卓でいきなり起家の店長がいきなりダントツになりトビ寸のお客さんもいたので早くも2着争いになった。東3局の親番の私の配牌でドラの東がトイツで他にも翻牌がありあっという間に仕掛けてホンイツトイトイ役役ドラドラ、高めのダブ東ならドラ3もついて3倍満、安目でも親倍の超勝負手になった。ここで私は店長に良いところを見せたくて色気づいた。下家のリーチ宣言牌のドラ東を見逃した私は「このままツモ切りなら店長からワンチャン出るかも」なんて思いながら下家のリーチ一発目にツモ切った1ピンが高め一通に刺さり裏ドラも乗って12000放銃になった。下家は私の手牌が気になったらしく覗いてきた。私は良い気になって手牌を開けて見逃した旨を告白した。下家は「ごめんね」と言って結局その半荘は私がラスになった。

そのゲーム終了後、お客さんをご案内した後に店長に呼び出された私は労いの言葉でもくれるのかなと期待しながら店長の元に行った。
あの鬼の形相で放った言葉は今でも覚えている。

「お前これは遊びじゃないんだぞ。お客さんだったら別にいいよあんなことしたって。でもこれは仕事なんだぞ。あの場面で見逃して俺が東なんて出すわけないだろ。見逃すんならあの1ピンは切らないで東東って落とすんだよ。せっかくお前が2着でまとめたら俺の勝ち分はお前に全部つけてあげようと思ったけど全部台無しだよ。これは仕事なんだから格好つけないで和了って2着で終わらせるんだよ。今回は端数だけは俺が引き受けるから反省して次からはあんなことは止めろ。いいな。」

と言ってラスのウマ以外の負け分を帳消しにしてくれました。私はそれまで従業員の麻雀はトップが狙える場面はラス落ちしてでもトップ狙い。ダントツがいたら見逃したり差し込んだり着順操作を含めた立ち回りという自己犠牲の精神の麻雀が格好良いと思っていました。お客さんを楽しませたうえで勝ち切るみたいな理想像を掲げていたのですが現実はそんなことはなくそれは単なるオママゴトだと気づかされました。

それでも店長はその後も私を見放すことはなく学生バイトの私が負けられる上限額を考慮してくれて店長の代走として1ゲーム全て打たせてくれたり、代走で先行出来た時はそのまま本荘に切り替えてくれたりとかなり私を贔屓してくれました。

もうすぐ2年になろうかという冬に先輩から専門分野が始まる2年からはレポートが急激に増えたり勉強とバイトの両立はかなり困難との話を聞いて私はかなり日和りました。どうしようか悩んでいる時にタイミング悪く私を可愛がってくれた責任者の方が八王子に転勤することになったため、私も思い切ってバイトを辞めることにしました。店長からは週1回でも良いと言っていただきました。その頃にはホール業務だけでなくレジ業務全般まで出来るようになってましたが肝心の麻雀で役に立てない(本荘回数がほぼ稼げない)と思い今更ながら足手まといになることが心苦しく感じてしまい断りました。こうして私の桃源郷は終わりを告げたのです。

今思えば雀荘バイトは金銭的には厳しい面もありますがとても楽しいです。社会で生きていく処世術も身につくと思います。でもおススメは出来ないという矛盾を孕んだ素晴らしい職場であります。フリー雀荘にまつわるエピソードは色々あるのでまたの機会にでも。

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