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見落としてはならないこと〜ブラームス交響曲第4番第4楽章

ブラームスop98の第4楽章のシャコンヌテーマは、二つの小節が分母となって、その上に音楽が載せられていく。そういう見通しができて、ここに存在する大きな4拍子が見えて来る。だが、それは、このシャコンヌテーマがそもそも8小節を要している時点で気が付かなければならない。つまり、それだけ「形を捉える」という姿勢に無頓着だからだ。

論理という形があるから私たちは文章をと通して、他人の考えを理解できる。音楽は音を使って形を作るものである。音響が人間の本能に影響力を持つから忘れがちだが、音楽は、その音によって形を作り、その論理があるから理解してできる。音響レベルで止まってしまっては形を見ることはできない。

さて、このシャコンヌテーマが4回転する前奏に続いて、第1主題が歌われ始める。ここも誤解されがちだ。シャコンヌテーマ8小節を音響として捉えてしまうから論理構造が見えてはこないのだ。それはop68の第2楽章も同じ。

さて、この音楽はやがて3/2拍子に展開される。

ただし、楽譜には3/4の四分音符の速さは3/2になっても変わらない旨が明記されている。ここを読み落としてはならない。雰囲気でテンポを落としてしまいがちだが、作品自体は大きな変化は望んでいないのだ。

これには訳がある。

実はこの音楽は3/4の時も二つの小節を分母として動いていたからだ。つまり、3/4の時と3/2の時の音楽の分母の尺は変わらないということだ。

95と96小節めを起点として、

①9596 ②97 ③98 ④99 ⑤100 ⑥101 | ①102 ②103 ③104 |①105

という骨組みで進行を続ける。シャコンヌテーマがこれまでは2つの小節を分母とする4拍子で動いてきたのと、ここでは一線を画すように6拍子が挿入される。そのことが進行を緩やかに感じさせる仕組みになっている。だが、それをわざわざ強調する場面ではない。演奏は、あくまでも、その仕組みを知った上で、淡々と進むだけだ。テンポを敢えて変える必要がないことを、楽譜がわざわざ示しているのだから。

この場面に、どんな物語を妄想するのかは個人の問題だ。だが、四分音符の速さは変わらないという楽譜の指示は絶対なのではないだろうか。こういう場面でいちいち感傷的に浸ってテンポを落として、フルートの低音に何かしら感じさせようというやり方は、作品のノリに反していないだろうか?むしろ、そういうマジョリティな演奏傾向に疑問を感じる。

シャコンヌの形式を基盤としてらで書かれ、3/4の時とわざわざ同じ分母で書かれているこの3/2の扱いは、作品としての、一貫性という主張を見せつけているのだ。

それを見落としてはならない。

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