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背後にあるものを掴む

若い頃、地元のアマチュアの人たちがK.551を演奏するのを見に行って、そこで第4楽章3小節目でアンサンブルが破綻するという事故に遭遇したことからある。結構いい演奏だったんだけど、「なぜここで?」という疑問が残った。オケの人たちや指揮者の問題というよりも作品自体に「罠」があるんじゃないかと、その時なんとなく思ったのだ。

しばらくそんなことを忘れていたけれど、改めてこの作品について考察していたら思い出したのだ。

さて、K.551の第4楽章の主題は4つの小節がスラーで括られている。この楽譜はシンプルだし、このスラーも一見わかりやすそうだ。

だが、この主題の起点はどこにあるのだろう。その問題に気がつくと、この第4楽章冒頭の結構のチャレンジな姿が見えてくる。

これはブラームスop73の冒頭もそうであるように無頓着な時には見落としてしまう問題だ。

4つの小節による4拍子の4回転と小節の三拍子のリレーによって最初の18小節間が構成されている。つまり、このallegro もまた0小節に拍節の一拍めを持っている。そのことは反復の際に明確になる。0小節めを認めなければ、反復した時に形態上の矛盾を起こすからだ。

①0 1 2 3 |②4 5 6 7 |③8 9 10 11 | ①12 13 14 15 |16 17 18 |

0小節を認めると、理屈の上ではこうなる。そうすると、この楽譜のスラーは小節の運動にシンコペーションしていることが分かる。

感覚的に聞いていると、音楽は、そのスラー通りに1小節めから始まるように捉えるだろう。だが、反復の際、拍節の1拍目が二つの小節で連続するという矛盾に陥るのだ。無頓着にも、その矛盾丸出しのまま、進んでいく演奏も少なくない。

さて、この主題がシンコペーションで動いていることが分かると、この開始部分とてもスリリングに聞こえる。そして、今まで平面画像だったものが、立体感を持って動き出すのを目の当たりにする。

K.550の第1楽章の開始もこの手を使っている。だがk.551の補助輪無しで4小節めに軟着陸しようとするフレーズの運動はそれ以上に手に汗握る空中浮遊だ。k.550が焦る雰囲気を醸し出しているのとはまた趣きから違う。

一方、音符を数える演奏では、先のような事故は起きない。でも、あのオケでの事故は、あのオケの人たちがフレーズで演奏していて、ふと現実に戻ってしまった瞬間だったのではないだろうか?と今は思うのだ。

この冒頭では12小節めに向かう「大きな3拍子」の骨組みを見ていれば音響に振り回されることはないだろう。

不安定なフレーズは実はその背後にある大きな安定の上にある。ブラームスop90の6/4の第1主題も、小節の中の音符を足し算しているから難しいのであって、低音群の動きを理解すれば、3/4的な音響に振り回されることはない。

その音楽を律しているものを掴まなければ演奏をコンダクトできないのだ。

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