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フレージングから骨格の全体像を探るとテンポは見えてくる

ベートーヴェンop55の第1楽章で、その3小節めから始まる主題。その最初の二つの小節はスラーで括られている。このスラーが与える緊張感はとても見事だ。このスラーが与える「張り」がこのメロディの推進力を支えている。マストが風をいっぱいに受けて帆船を進ませていくように。

問題は、この楽譜に書かれている重心や力のバランスを読み取っているかどうかだ。それが読めていない時、このスラーは義務的な音の繋がりにしかならない。このスラーに漲るものを感じないとしたらこの主題自体は死んだも同然なのだ。

3小節めと4小節はその2小節がスラーで括られているが、5小節めはその小節だけがスラーで括られる。そして6小節めと7小節めはまた二つの小節が括られる。
その先に1stvnが乗ってくる。その流れで9小節めにsfが流れに棹をさすようにさらに推進力を持たせる。

この最初のフレーズの骨格が見えているかどうかなのだ。何を起点として始まり、どこにむかうのかが明確になっていないと、そのスラーやsfの求める効果は見えてはこない。

この主題は二つの小節を分母にした6拍子である。

①1 2 ②3 4 ③5 6 ④7 8 ⑤9 10 ⑥11 12 | ①13 14…

だが、その大きな拍節が読みきれていないと7、8小節め、あるいは9小節めのsfに着地してしまいがちだ。
そのように譜読みができていない段階ではテンポも適切なものは見えてはいない。
そうなってしまうと3、4小節めのスラーや9小節めのsfに与えられる張り、弾力性が見えなくなってしまう。それは演奏の失敗である。

このスラーの失敗は6拍子拍節の実現の失敗でもある。そうなるとその後のフレージングも全て意味を失ってしまう。

これらのフレージングが生かされていない演奏は、単なる義務的な音鳴らしに終わる。

楽譜から読み取るのは音符や休符の義務的な発音のためのものではない。フレージングがなぜそうなっているのかを探ることから、全体像を発掘することが譜読みでなくてはならないのだ。フレージングによってそれぞれのパーツの力のバランスがわかる。それをどう組み合わせて立体を作るのかを考察することが譜読みなのだ。

そして、さらに音符で数えるように弾く傾向から脱却しなければならない。3/4allegroを3つの四分音符で数えて、三角をとっているようでは、これらの楽譜のフレージングを生かすことはできない。小節で運動していることをフレージングで示しているこれらの楽譜の主張を無視してはならないのだ。

これらの情報からこの主題の壮大な骨格が見えてくる。そして、テンポの範囲は自ずと定まってくるのだ。

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