おちゃ

野球とプログラミング教育の深い関係

90分で3キロ泳げるようになったよ。

さて、来年から大変だぞ、というお話。来年2020年、始まるね。プログラミング教育。

「え?何グラミング?」と聞き直す人はマズイ。でも「知ってる。大変だね、今時の小学生は」と、他人事のようにお茶をすするのもマズイ。

そんな余裕、僕たちにはない。

僕が文部科学省の人間ではないことをご存じかどうかは知らないけれど、詳しくは文科省HPに資料があるから見ておくといいよ。

で、野球ばっかりやっているうちの子、プログラミング教育についていけるのかしら?という心配も、まあ不要…と思う。何もPG教育は、プログラミング言語を覚えて、コードを打ち込む的な技術を習得するのが目的ではない。

プログラミング教育の狙いはいくつかある。コンピューターの仕組みを学ぶとか、情報を活用する力をつけるとか、とかとかあるけど、肝は「プログラミング的思考」を身につけろってこと。

プログラミング的思考?今流行のAIですか?近からず遠からず。ざっくり言うと、プログラミング的思考とは「問題解決とか、こうなって欲しいなーって結果に導くコンピューターのようなロジカルな考え方」。

コンピューターに囲まれるこれからの社会では、プログラミング的思考が必要だー!ってエライ人は考えてるわけ。

「あーなって、そーなって、こうなるから、どうなるんや!」的に考える、伝える、そんなプログラミング能を身につけよと。

「へー、あーそうなの?」と、再びお茶をすすらないでいただきたい。大変なのは、子どもやおまへん。

なぜ関西弁が混じるのかはさておき、僕たちはそんなスーパーな教育を受けて、ロジカルなシンキングを身につけたチルドレンと、上手くやっていかなければいけない。

「何もしてへんのに壊れた」という、昭和的論理は通用しまへんで、ってことだ。

いい?たとえば「三角形を知らない子どもに三角形を書いてもらいたい」とするよ?昭和生まれの関西人ならばこう言うはずだ。

「三角形を書け。は?知らん?学校で何習ってるんや?棒を3本並べてやなあ。ちゃうちゃう。あーもう貸してみ。こう書くんや。え?お父ちゃんが書いてる?偉そうに言うな。学校で何習ってるんや?お前が書けへんから教えたってんねん。酒や酒買うて来い」と。

しかし、プログラミング教育ではこう伝えるんだ。

「ペンをおろす。長さ何センチ進む。右に何度曲がる。左に何度曲がる。それを何回繰り返す」と。

あースタイリッシュ。なんてスマート。まずいよね?

今まで娘に「勉強しろしろ」口うるさく言ってきた。でも突然慶応ボーイのイケメン家庭教師が家にやってきて、とてもわかりやすく娘に勉強を教える、成績が伸び始める。

嫌みのないさわやかな慶応ボーイの笑顔に娘も妻も惹きつけられる。口うるさく言ってきた僕は居場所を失ってしまう、そんな感じ。

三角形を書いてもらうだけでこんな調子だ。野球ならどうなる?投げる、打つ、捕る、走る。説明しきれやしないぜ。

「監督!スイングは何度の角度から水平にバットを進入させれば宜しいでしょうか?」

「ごちゃごちゃ言うな。こうやってバットをボールに当てるんや。違う。こうや。何べん言うてもわからんやっちゃな。」

そんなジェネレーションギャップが生まれるのは目に見えている。

プログラミング教育。学ぶべきは僕たちなのだ。

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