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夢を見続ける労力

夢を見ることって、かなり労力が要るよね。という話

昔、夢を見て追いかける人が苦手だった。
叶う可能性のわからないものに熱中するなんてどうかしてる、身の丈に合ってない。って。

私の親戚に、役者を目指す人がいる。
その人がどんなに夢に対する熱い想いを語っても、私には響かなかった。

今よりもずっと無気力に生きていた頃の話だ。

何をやっても熱くなれない、つまらない。
ただ毎日同じ習慣をこなすことにのみ集中する生活。
驚くことに私は、こんな生活を小学生の頃から続けていた。

きっかけは知らない。私はとにかく覇気のない子であった。
特記事項なしの生活は、社会人になっても続いた。

ふと、「このままだと何もない人生で終わりそう」と危機感らしきものを覚えた。

色々考えて、幼い頃に好きだった記憶のある本や文章の世界に飛び込むことにした。
そこで自分のアイデンティティを作ろうとした。

自らの貯金をはたいてオンラインスクールに入り、こうしてnoteを始めた。
へたっぴな文章を書いて、晒す。

「やっぱり、文章力が足りない」

読むことが好き=書くことができる
わけじゃない。

目標や夢を叶えるための努力も大事だけど、そもそも夢を持ち続ける労力って結構必要なんだなと感じる。そして、それも結構つらい。

夢を持ち続けるって、こんなにしんどいものなのか。

「ライターになりたい」と勉強を始めてはみたものの、モチベーションの維持というのは結構難しい。

私のキャパが狭すぎるというだけかもしれないが、今まで無気力に生きていた分、今がいちばんつらくて、忙しい。

それでも。

なんだか癖になる。かすかに楽しい。
不思議な気分だ、つらいのに楽しいなんて。

たぶん、つらくても夢を見る方が、無気力に生きるよりずっと楽しい。

役者を目指して努力を続ける親戚に想いを馳せる。
こんな気分なんだね。

つらい、しんどい、やめたい。
悩んでも、苦しんでも、やっぱり根源から嫌いになれないから続ける。

無気力に戻る方が楽なんだろうけど、手放せないのはもう夢を見てしまったから。

夢の虜になってしまったから。

きっと私は、悩みながら(主に文章力のなさに)それでも文章を書き続けるだろう。
「ライター」になるために。

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