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その人と一緒にいる自分が好き

最近、自分の友達に対し、「わたしの仕事にそんなに興味がないよね」 ということを思いました。

考えてみると、私も彼らの仕事に特別興味がありません。
仕事に限らず、誰かの好きなものや趣味にもたいして興味がない。

でも、仕事や好きなものの話を聴くのは楽しいし、興味がなくても、その人の大切にしているものや考えを、わたしも大切にしたいと思っています。

それで、友達がわたしと一緒にいる理由って、私が何をしているからとかそういうのじゃなくて、単純に、「私と関わるのが楽しい」からなのだと気がつきました。

「その人が好き」よりも、「その人と一緒にいる自分が好き」ということ。

ちなみに、恋愛やパートナーシップでも、「その人と一緒にいる自分」が好きかどうかが大事だと思います。その人のことをいくら好きでも、一緒にいる時に緊張したり、いいところを見せようと背伸びしてしまったり、その人の行動が気になり過ぎたり、そんな風に自分がリラックスできない状態は、継続するのがむずかしい。

誰かのことを、「〇〇だから好き」なわけではない、というのは自分の体感として分かると思うのですが、自分自身のことを、「〇〇だから好かれている」と思いこむのはけっこうあります。

「〇〇だから評価されている」「〇〇だから必要とされている」と、思ってるということも。

逆に、おおげさにいうと、「自分は〇〇でなければ価値がない」と思ってるということ。

会社勤めをしていた頃の自分はそうだったなあ、と思います。「優秀でなければ、成果を出さなければ、価値がない」って、無意識に思っていました。

しばらくすると、会社で長らく培ってきた自分のイメージとか役割とか肩書のようなものを、全部外したいと思いました。それで外してみたのですが、たったの2週間くらいで、体感的に「ただの自分」になりました。あっという間のことで、実にあっけなかったです。

そして、「ただの自分」であっても、友達や交友のある人の態度は変わらないし、だから、「ただの自分でも好かれるんだ」ということを、経験として実感しました。

「ただの自分」って、よくいう「ありのままの自分」でもありますが、「ありのままの自分」がわからない、という話も時々聞きます。

これには答えがあって、「ありのままの自分」って、小学校の夏休みにプール帰りにアイスを食べて、畳で寝転がってる時のような自分、だと思っています。無邪気で、リラックスしてる状態っていうこと。

「〇〇じゃなきゃ愛されない」という思い込みって、どこから来たのだろう。

過去にさかのぼっていくと、初めての人間関係を体験する場所って、家庭や学校ですよね。

親や、友達や、先生の言葉や態度をきっかけに、「〇〇じゃなきゃ愛されない」と思い込んだという話。

それって、事実だった場合もあるけど、自分がそのように認知しただけ、ということも大いにあります。

そのあたりの思い込みや、我慢した気持ちの解放は、自己対話やカウンセリングでクリーニングしていけます。

あなたが、畳にだらしなく寝転がっている状態で、じゅうぶんに愛されてるし、ゆるされてます、っていう話。


みずうみ
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