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02|いけばな人口激減の考察 ① 総論-激減の実態を探る

 2023年8月5日/記 
(敬称省略)   

 いけばな人口の激減は、いけばな界の大問題である。いけばなに直接の関わりがない人でも、日本文化の一部門がいずれ存続の危機に見舞われると聞けば、無関心というわけにはいかないのではないか。いけばな人口激減は、日本文化の大きな変質の表徴でもある。前にもこの問題について小論を書いているが、今回、新しい数値情報を入手したので、その数値を加えて書き直すことにした。

戦後、いけばなが大流行

 いけばな人口、すなわちいけばなを学んでいる人がどれくらいいるのかということだが、古い時代ならまだしも、戦後のことでさえ、よく分からないのである。ただ、大雑把な数値の証言はある。1950(昭和25)年6月発行の『いけばな芸術』第7号に、美術評論家の水沢澄夫がこんなことを書いているのだ。
 「その道の人に聞いてみると、花道は目下大流行なのだそうである。全国で、池坊が100万、大覚寺が60万、草月が60万、やはり小さな流派をかぞえると総計300万をこえるかもしれないとのことであった」(注1)。

 水沢がいけばなに関わって間もない頃の執筆なので、正確さを欠いている可能性がある。大覚寺は嵯峨御流のことだと思われるが、その嵯峨御流や草月流と同等以上だったと思われる小原流が抜けているのは妙である。事実、4年後に水沢は、「池坊は100万、小原流60万、草月会50万」(注2)と記して、これらを流派の代表格としている。
 まあ、その辺りには目をつぶるとして、同じ文中には、この300万を「妙齢の女性」の数のように扱っている箇所があるが、これもちょっと怪しい気がする。妙齢の女性というだけでは、具体的にはどの年齢層を指すのかが曖昧であるし、その範囲次第で数値が大きく変わる。それに、いけばな界の誰かが水沢に伝えたということだが、全体数さえ漠然としているのだから、妙齢の女性の数が把握できているとは思えない。普通に考えたら、いけばなをやっている人を合算すれば全部で300万人をこえているかもしれないよ、という話だったのではないだろうか。

 もちろん結論は出ない。ただ、日本の総人口が8300万人の頃、300万という数値がいけばな関係者の口に上っていたことを憶えておきたい。ともかくも、いろいろな証言から判断すると、戦後のいけばな界は活況を呈し、1950年代から60年代にかけて激増していったことは確かなようである。水沢がこの文を書いた1950年は、激増の最初期だったと思われる。
 なお、この論考の中では、人口などの数値には原則として「約」はつけないことにする。大半が推定、あるいは概数なので、「約」だらけになってしまうからだ。

(注1)  水澤澄夫「『花』あるこころ」『いけばな芸術』第7号、いけばな芸術社、1950年。
(注2) 水沢澄夫「流派というものについて」『伝統芸術講座7 いけばな』河出書房、1954年。


いけばな人口1000万人?

 次に1960年代の証言を見ておこう。日本の人口が1億人を超えようとしていた1966(昭和41)年、『人物往来』2月号にジャーナリストの青地晨がこう記している。「日本のいけ花人口は、1000万といわれている。1500万から2000万という説もある」(注3)と。1000万から2000万という開きは無茶苦茶だが、仮に1000万とし、子どもを除外して計算してみよう。
 当時の15歳以上の人口は7500万人なので、1000万人はその13.3%である。その多くが女性なので、思い切って比率を倍にしてみると、26.6%、女性の4人に1人がいけばなを学んでいたことになる。もちろん漠とした数に漠とした計算であるから、ボケボケの参考数値である。
 
 1970年代についての証言が見当たらないので、飛ばして1980年代を見てみよう。1980年代の後半、日本の人口は1億2000万人をこえていた。この頃のいけばな人口について工藤昌伸がこう記している。「1990年近くのことだが、文化庁の調査があり」、それに答えるため池坊、草月、小原の3流派が協力して推定を試みたという。実数を把握する資料はなく、苦肉の策として、師範の数を基に算出することにしたらしい。
 一定規模の弟子をもつ師範の数を推定し、その数から弟子数を割り出すのである。まずは師範の数だが、「池坊3万人から5万人、小原流と草月流を1万5000人から2万人と推定」したという。この師範数、3流派を合わせて6万人から9万人という、またまた大雑把な推定である。
 それでも、一応のいけばな人口が推定されることになる。工藤はこう分析する、「最低限6万の師範が80人の弟子をもっているとすれば、3流派の門下数は480万であり、500万に近い。3流派の市場占有率を60パーセントとしてみれば、いけばなに参加している弟子の数はおよそ850万となる。これに零細な弟子数をもった潜在的な師範が非常に多いことを考慮すれば、いけばな人口1000万とか1200万と一般に言われている数字に比較的に近くなる」と。もちろん「正確な数値は不明」だと断っている(注4)。
 
 工藤は、かつては前衛いけばな運動に邁進し、運動の退潮後は批評家・研究者としていけばな界に多大な影響を与えた。また、(財)小原流の事務局長、(財)日本いけばな芸術協会の事務局長を務めるなど、いけばな界の全体を視野に入れる立場にあった。小原流の重鎮でもあったが、その批評や研究は公平であり、前衛時代の良質な空気を伝える人であった。要するに、信用できる人だ。
 
 いけばな界を熟知し、つまらない忖度などしない、そんな工藤が「正確な数値は不明」というなら、不明とするほかない。それほどいけばな人口の把握はむずかしいのである。しかし、一方で、いけばな界で漠然と言われていた、いけばな人口1000万説、1200万説を、工藤が否定しなかったことも重要だ。いけばな人が肌感覚で捉えていた数値なのかもしれない。
 この説で計算すると、当時の15歳以上の人口は、1億人に近かったので、1000万人なら10%、1200万人なら12%である。その倍は20%、24%なので女性4、5人に1人がいけばなをやっていたことになる。 

(注3) 青地晨「勅使河原蒼風」『人物往来』1966年2月号、人物往来社。
(注4) 工藤昌伸『いけばな文化史5』同朋舎出版、1995年。


総務省の「社会生活基本調査」

 もう少し参考になる資料はないかと調べてみた。工藤が語った文化庁の調査はどうなのかだが、だいぶあとで実現した「伝統的生活文化実態調査事業」がその流れを汲んだ文化庁の仕事のようで、2015 (平成27)年に報告書が出されている。大いに期待したのだが、残念ながら、一読しただけでズサンさがわかる内容であった。この報告書については、次回に書く予定の各論で少し触れようと思う。
 
 今のところ、継続的に行われている総務省の「社会生活基本調査」がいけばな人口の実態にもっとも迫る調査だと思われる。20万人程度のサンプル調査から国民の行動を推定していて、なかなか面白い。
 その中の「スポーツ、趣味・娯楽」の調査票(図1)にはいろいろなスポーツ、趣味・娯楽が示されていて、華道(この調査での名称)もその一つである。例えば、華道を「この1年間に何日ぐらいしましたか」の質問に、まったくしなかった、1~4日、5~9日、10~19日・・・、200日以上、といった答え方をする。国民が楽しんだスポーツ、趣味や娯楽の種類、人数、年齢、頻度などが把握できる調査であり、統計が作られ、公開されている。この統計からいけばな人口を探り出してみよう。

 統計を「見てみよう」ではなく、統計から「探り出してみよう」と書いたのには訳がある。いけばな人口の実態に迫るには、統計数値そのままではダメで、いろいろ検証しながら探る必要があるからだ。例えば「1年に1~4日」の人がいけばなを学んだことになるのか、「5~9日」ならどうか。また、子供を数に入れるべきかどうか、等々である。だから、統計といっても、こちら側がいけばなの実態に近いと思う数値を「探り出す」ほかないのである。
 「1年に1~4日」は、三日坊主、体験講座の受講者、といった人たちが含まれるだろうし、相当な数になるので、そのままいけばな人口に入れるのには抵抗がある。しかし、統計をあまりいじりたくないので、今回は、その人たちもいけばな人口に入れることにした。
 また、15歳未満をどうするかだが、これも悩ましい問題である。親に言われてやっているだけの子供は、いけばな人口から外したい。それに、今の「社会生活基本調査」の調査対象は10歳以上だが、ある時期までは15歳以上であった。長い期間を対象にした比較をするなら外すほかない。あれやこれやと考えながら、まずは直近版である、2021(令和3)年の統計からいけばな人口を探り出そう。 

図1 「社会生活基本調査」の「スポーツ、趣味・娯楽」調査票(サンプル)


令和3年のいけばな人口は?

  最初から衝撃的な数値を書き込まなくてはならない。1年に1日でもいけばなに手を触れたことのある15歳以上の人は、2021年の調査では139万人だった。えっ、少ない! 先ほどまで1000万人がどうのこうのと書いていたわけだから、あんまりである。一部修復を試みよう。

 この調査票では「授業・仕事および家事」の場合は該当しないと説明しているから、師範の人たちは入っていない。食えているかどうか別にして、師範は非常に多い。彼女(彼)たちはプロ意識をもっているから、趣味・娯楽の欄に記入しなかった人も多いのではないか。この記入行動次第で大きな誤差が生まれる。
 師範の数は、先述した工藤の推定は6万~9万人だったが、これは門下生の多い師範の数であり、零細師範が入っていない。その数は、正直、見当がつかない。よく分からないまま、調査実数にとりあえず30万人を上乗せしておこう。すると、169万人になる。それでも、1000万説、1200万説と比べると6分の1、7分の1である。
 しかし、しかし、1000万とか1200万とか、あまりにも大雑把な推定との比較であり、真実味が感じられない。せっかく大規模に調査された「社会生活基本調査」であるから、その統計内部からリアルな数値を引き出せないだろうか。

いけばな人口、35年間で5分の1に

 「社会生活基本調査」は、第1回が1976(昭和51)年で、それ以後5年ごとに行われ、直近調査が先ほどの2021年調査であり、10回目に当たる。ただ、華道が調査対象にならない回もあるし、調査内容が微妙に変わることもある。現在と比較ができる、もっとも古い調査は、第3回の1986(昭和61)年調査である。その調査結果を見てみると、604万人だった。いけばな参加1日以上という甘々の数値だから、やはり漠としている。

  もっとリアルな数値はないかだが、その意味で目を向けたいのは、いけばな人口の実数よりも、推移である。「社会生活基本調査」は、調査手法が統一されているので、変化の推移については正しく把握できる。同じ調査条件で1986年は604万人、2021年は139万人である。だから、いけばな人口が4分の1以下になったことになる。あくまで35年間の推移だが、これは調査が突きつけてくる、リアルな数値なのである。

 推移ということなら、もっと実態に迫る方法がある。「社会生活基本調査」では、行動者(活動をした人)の数とともに、行動者率を記載している。行動者÷人口であり、調査年の人口を考慮した数値が出るので、各分野への国民の関わり具合がより正確に把握できる。年齢別の数値も見られて、たいへん面白い。各分野への世代別関心度が一目瞭然なわけであるし、年齢によって驚くほど違うことも見えてくる。

 1986年の第3回調査では、15歳以上の人の「6.4」%が華道に触れたと記載されている。第4回は華道の調査はなかったので記載はない。1996年の第5回以後、5年ごとの数値は「4.4」「4.0」「2.7」「2.0」「1.8」「1.3」となっている(図2)。 

図2「社会生活基本調査」を基にした時系列表(華道の部分を三頭谷が再編集)

 人口の変動を加味した行動者率では、35年間に「6.4」から「1.3」に減少したわけであり、5分の1である。実数の推移では4分の1程度だったが、それよりも厳しい数値となった。
 「1.3」はコロナ渦中の2021年調査であり、その影響も一部あると思われる。が、35年間、一貫して減少してきているから、いけばな分野に潜在する構造的問題という理解が必要だ。ということは、減少は続くと見なければならない。

近未来を想像しようとすると・・・ 

 次回の各論で詳しく扱いたいが、25歳~29歳の年齢層では、35年前には「9.2」という高い行動者率を誇っていたが、今は「0.4」に落ち込んでいる。23分の1なのだ(修1)。その後の世代でよほど増えないかぎり、高齢層退場とともに、減少が加速される。近未来のいけばな界を想像しようとすると、苦痛が伴う。

 おそらく、いけばな人口の激減は続く。しかし、怯えるだけではしかたがない。激減の事実をきちんと踏まえ、その前後左右、深部へ想像力を働かせることが必要だ。
 お隣といってよい茶道を見ると、やはり全体として減少傾向にはあるが、華道とは違った推移を見せている。時には現状維持の時期、特定の年代層ではかなり増えている時期さえある。茶華道と並び称されることが多いが、だいぶ違うのである。次回の各論でもう少し検証してみよう。さらに書、美術、等々との比較も興味深い。                             

(修1)  2023/08/21 旧「25分の1」→新「23分の1」に数値修正


(いけばな人口激減の考察 ① 総論 おわり)


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