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いつかあなたは教育の仕事をする、と言われた日

英語の参考書を出版することになりました。タイトルは「イミコワ英語」。

「意味がわかると怖い話」で中学英語の基礎文法を学べる参考書となっています。

命令文の否定系の単元
比較級の単元

まさか自分が教育の本を出すとは。人生とはわからないものです。同時にふと、昔のことを思い出しました。西武新宿線沿線に住んでいた学生時代のことを。



 だし巻き卵の美味い、小さな焼き鳥屋でした。向かいには同じ塾講師をしている同僚が座っていて、わずかに残ったビールジョッキを手に持っています。ずいふんと呂律が回らなくなっていたので、相当遅い時間だったはずです。
「××先生(僕の本名です)って、淡々としていますよね」
 講師同士は「先生」をつけて呼ぶ。それがこの職場の慣習でした。
「淡々ですか?」
「ほら、生徒っていろいろと話したがるじゃないですか。部活のこととか、好きなテレビのこととか」
「あぁ確かに」
 教師1人に対して生徒が2人。それが僕らの勤める個別学習塾の基本でした。それぞれのブースは腰の高さ程度のパーテーションで仕切られ、他のブースの会話を聞こうと思えばいくらでも聞けます。
「××先生はその辺スパッと切り上げるでしょ。うんわかった、じゃあこの問題解こうか、って感じで」
「まあ。でも、じゃないと終わらなくないですか?」
 答えながらも僕は意外でした。

――そうか、他の先生たちはそうじゃないんだ。

 塾講師のメリットといえば、授業が遅くとも21時には終わること、終わりの時間が大抵みんな同時刻だということ、だからこうやって仲の良い同僚と飲みに行きやすいこと。それくらいだと思っていました。少なくとも大学生の時の僕は。恥ずかしながら、生徒が成長することに対して喜びとかやり甲斐というものを見出せていなかったのです。
 もちろん、僕とは違って「将来は教師になりたい」「子供が好き」という講師もいました。彼ら彼女らには熱量があり、例えば、生徒のために割安の時給で残業を引き受けたりしていたのです。

「僕はそこまで寄り添えないですよ。所詮、バイトですし」
「うんうん」
 数度、同僚は頷き、
「でも」
 残りのビールをグイッと飲み干します。焦点は僕を見ているようで見ていません。
「でもね、××先生」
「はい」
「あなたはいつか教育に関わると思います」
「え」
「そんな気がします」
「それは、えっと、なにゆえに?」
 同僚はその質問に答えず、頭をガクッと落としました。そして
「あぁ、頭痛い」
 と呻きました。

 もう10年以上も前のことです。
 この本を出すにあたり、書店の参考書コーナーを何度か見に行きました。最近の子供たちはどんな風に勉強をしているのか知ろうとして、たまたま見つけた受験生の方のnoteを読み耽ってしまいました。勉強の忘備録と一緒に書かれていた、彼の好きなYouTuberを検索してみました。いつのまにかこの本を作るのに結構な時間をかけていました。初版収入を時給に換算したらきっと割安です。(もちろん重版すればその限りではないですが)

 件の同僚とは今でも交流があります。今度、10年前のことを覚えているか聞いてみようかしら。だし巻き卵でもつつきながら。


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