『キャバレー』(1972)がめちゃくちゃ良かったはなし

昔の名作を映画館で期間限定上映する「午前十時の映画祭」で『キャバレー』が上映されていたから見に行った。
曲は何曲か知っており、Liza Minelli 主演であるってところまでしか知らず、本当にミリしら状態で見に行ったが、傑作映画すぎて好きな映画Top 5 に食い込んでくるかもしれないくらい衝撃的でした。

以下、ネタバレ含みますのでご注意を。

物語は1931年ドイツで始まる。少しでも歴史を齧っていればこの年号だけで時代背景はなんとなく察するだろう。
主人公はサリー・ボウルズというアメリカ人の女性。女優を夢見ながら、歌手としてキット・カット・クラブで働いている。彼女はイギリス人の学生、ブライアン・ロバーツに出会う。二人は仲を深め、ついには恋仲になるが… 
というような話である。

キャバレーは見たことがなく、話も全く知らなかったため、全てが衝撃的で単純にキャラクターが自分の秘密を明かすたびに新鮮に驚き、楽しかった。

1931年ドイツ、ナチス、戦争、悲劇の影が段々と近づき、退廃的な社会の中、人々は現実逃避のためにキャバレーのような場所に集まる。キャバレーの煌びやかで狂騒的でキャンプな世界と、ドイツ社会の閉塞的な空気、迫害、ナチスの台頭、不況などとの落差が大きくゾッとする。
舞台上で人を面白おかしく人を殴っている映像と、ナチスがナチスを侮辱したであろう男性を殴り殺している映像が交互に流れるなど、映画ならではの表現で巧妙に二つの世界線を表現している。

以上で挙げたシーンも一つの例だが、迫り来るナチスや戦争の影は直接的に言及されるのではなく、キャラクターたちの背景でさりげなく映されたり、少し会話で出てきたり、キャバレーのショーの中で風刺されたり、などとさりげなく示唆される。

背景ではこのような異常なことが起きていても人々の日常生活は続く、知らず知らずの間にホロコーストのような悲惨へと突き進んでいく、という描写なのだろうか。

ユダヤ人が陰謀を企てている、などといった差別的言説をサリーとブライアンの下宿先の人(?)が言い、ブライアンがそれに反論すると、「新聞ではそう書いてある」などと答えるシーンにはゾッとしました。現代でもこのようなことが起きる可能性は大いにある。

また、話の中でユダヤ人女性のナタリア、ドイツ人男性で本当はユダヤ人だがキリスト教徒を装って生きている男性フリッツというキャラクターも登場する。

フリッツは、差別や迫害をされないためにキリスト教徒を装っていた。しかし、ナタリアと恋に落ち、彼女と結婚するためにユダヤ人であることを打ち明ける。しかも、そうするよう背中を押したのはブライアンだ。もし、打ち明けていなければ、彼はナチスのユダヤ人虐殺を逃れられたかもしれないが… と想像すると辛くなる。

ブライアンもまた秘密を持っており、サリーが関係を持ち始めた男爵のマックスと、ブライアンも愛人関係にいたということだ。
私が思うにはブライアンはバイセクシュアルなのだろう。サリーの前に関係を持った3人の女性とは全員うまくいかなかったことを打ち明けているが、サリーのことは心から愛していただろうし、二人の肉体的な関係も満たされていそうだ。しかし、男性であるブライアンとも関係を持っている。

「ホロコースト」というとユダヤ人を真っ先に思い浮かべる人が多いだろうが、実際に迫害されていたのはユダヤ人だけではなく、同性愛者やロマ人などの民族的マイノリティもユダヤ人と同様に虐殺された。
ブライアンやマックスもまた、ナチスの台頭のもとでは無惨に虐殺される立場の人々なのだ。

最終的には、ナタリア、フリッツ、マックス、サリー、ブライアン… 全員どうなるのかはわからない。しかし、ドイツのその後の行く末を知っている我々は、彼ら彼女らの運命が安易に想像つく。最後を観客の想像に任せてしまうのもまた秀逸な終わり方だ。

舞台版の『キャバレー』は見たことがなく、さっき調べたら男性主人公の名前がだいぶ違って(ブライアンではなく、舞台版ではクリフという名前だそう)、見てみたくなった。映像ならではの表現が多く、それが秀逸だったため、どうやってあの雰囲気を舞台で出してるのかが気になる。でも、キャバレーのシーンとかは舞台映えしそう。
日本で今度やってくれないかな〜。

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