瀬水珠希

瀬水珠希

最近の記事

水晶

 どう考えたって、自分は、頑張らなくちゃ、この世界には、ついていけない人間で、ついていくために頑張るか、頑張らずについていくのをやめるかの、二択で、生きている限り、時間や体力は必要だけど、頑張ることはできてしまうから、頑張ってしまって、まだ諦められていないけれど、でもそれは、生きているうちは、常に、頑張るということを、選ぶということだけど、それを選ぶ、と言い切るほどの、覚悟はなくて、諦める覚悟もなくて、頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ。  どう考えたって、自分は、頑張らなくち

    • 融解

       久しぶりの更新。  時間のない時にこそ書きたい言葉は湧き上がってくる。  それはどうして?  肩を越えてさらに伸びた髪。  ドライヤーで途中まで乾かしたところ。  スマートフォンからは音楽が鳴る。  深夜二時の焦る眩しさとは全く異なる印象。  カーテンを開けると青と緑と。  深く見続ければ何かを思い出してしまいそう。  精神は不安定。生活も不安定。  縋るものを探す日々。それが意識的であるか無意識的であるか、その違いはあるけれど。  安定するところと安定しないとこ

      • タイトルなし

         不思議な感覚だった。  好きなシリーズの推理小説を読んでいた時に呼び起こされたその感覚は、一瞬のうちに私を支配して、またすぐに消えていった。静謐の表面に、私に内在する混沌を零し染み渡らせていくイメージが、脳内に瞬間的に広がった。白色に藍色、黒のインクを落としていく。静かなまま、染み渡り広がっていく。それは綺麗で、幻想的で、奇跡的に見えた。そんな画像が、脳内を一瞬かすめた。  ここ数日、漠然とではあるが全ての筆を折ってしまおうと思索していた。それが今、再び、何度ともなく繰り返

        • 面倒くさいです。

          保つことが面倒くさいです。何もかも。 今すぐにでも投げ出してしまいたいです。そんなことができるのなら。 できるっていう人も、いると思います。 だけどそれはできないのです。 私の生に幻想を見てくれている人が、まだこの世にいるのです。 健康が欲しい、と思っていた時もありました。 今は前ほどありません。 健康が欲しいというのは、思えば、希望に基づく欲求です。 (欲求というのは、全て希望に基づくものなのかもしれませんが。) 健康になりたかったのは、その先に何か希望があると信じていた

          海を見て

           海を見て目が沁みるのは潮風のせいかそれとも。  受け入れ包み込むその大きさに感服して、世界の一側面の全てを知る。  自然を前にした時私は力など持つ必要がないということ。  飲み込まれ、染み込んでしまえたらどれほど幸せだろうかと、覗き込み、距離を取る。  せめて近くで暮らせればと願う。  でも、  私が台無しにしてきたいくつもの景色と同様に、ここもまたスレテヨレテしまうのではないかという恐怖がよぎるから、簡単には近づけない。  汚したくない。壊したくない。  この偉大さを、

          普通

          ※普通という幻想がそれでも世間に存在するという前提で書きます。  普通に生きたい、とふと思う。  伏字にしたいくらい卑劣な願いだと思うと、ますますその気持ちが強くなったりする。  普通に生きたい、って何?  なんて思ったり、追究したりしても、たいして心はすっきりしないから、この願いは奥底からやってきているんだろうと思う。  私に染み付いた願い。  そもそも普通って何と思う。普通を意識する時、もう普通からは落とされてしまっているんじゃないのと思う。普通というものの拘束力なん

          夜悩

           深夜零時。  ベッドに入った私は、冷え静まる夜に反して冴える頭の声に耳を傾ける。眠れないのは半分は仕方のないことで、半分は自分のせいだと思っている。閉ざそうと思えば閉ざせるのかもしれない。鎮めようと思えば鎮められるのかもしれない。だけど、無限の広がりを持つように思えるその思考を止めるのにはとても労力がいるのを知っているから、つい少しでも楽な方を選んでしまっていると思う。  深夜一時。  そんなことをしているうちに平気で一時間くらいは経っている。目を瞑って体を横にしていれば

          留書 -空想-

           時折、どうしようもなく広がる空想。私はそれから逃げたい。逃げたいのに逃げられない。  よく知らないその人が、私に好意を向けている。私に都合のいいように動いている。それが気持ち悪くて、そんなことを考える自分が気持ち悪い。  勝手に現実での関係性と比較する。嫉妬する。詮索したくなる。気持ち悪い。理解ができない。  どうしてそんなことを考えているのかわからない。私は逃げたいのに、逃げられない。付き纏う。  とまあ、そんな感じで、たまに嫌になるほど自分の空想が脳を侵食する時

          留書 -空想-

          今年を振り返って(六十余行)

           年の瀬。三十日から三十一日になるのと、三十一日から一日になるのとでは、何が違うのだろうかなどと考えながらも、せっかくの機会だから、と。  一年を振り返るのに何文字が適切だろうかと考えても、別に正答があるわけではないだろうから、あんまり書きすぎないように、ひと月五行。  時系列を逆にした方が楽なので、十二月から遡っていきたいと思います。  十二月。不安定な月。年の瀬だからというのもあり、忙しくしすぎた節はある。体調があまりすぐれなかった。特に今日含め十二月下旬。  思えば今

          今年を振り返って(六十余行)

          不安は私を守ろうとしてくれている。

           朝、太陽がまだ東の空にある頃に起き出して、洗濯機を回し、朝ごはんを食べる。それからちょっと掃除をして、洗濯物を干しはじめたその時、ふと、不安になる。  昼、外に出て予想外に太陽の光を浴びた時、不安がよぎる。  夜、やらなくてはいけない作業をやっと終え、本当は達成感を得たいその時、どうしようもなく不安がやってくる。  健康っぽい生活をしていると、ふと襲ってくる不安。もう何年も前から、そういう不安を感じることがある。その不安は全然脈絡なくやってくるように感じられるのに、私がま

          不安は私を守ろうとしてくれている。

          なんにもしたくなくなっちゃった夜(裏)

           なんにもしたくなくなっちゃっても、文章を書いているのは楽しいのかもしれない、それじゃあ私が目指すべきは何者、作家になりたい、だけど小説を書くのには体力がいるの、詩人になりたい、だけどそれって、どう定義したらいいかもわからないものでしょ、私は私に一つ肩書をつけるならポエットを選ぶし、だけどそれってなるものじゃなくてそうあるものでしょ、だから私はもう詩人、それじゃあその先はなに、シンガーソングライターになりたい、だけど知識はない、アニメや映画を作りたいけど仲間も体力も技術経験も

          なんにもしたくなくなっちゃった夜(裏)

          なんにもしたくなくなっちゃった夜

          なんにもしたくなくなっちゃったのに やらなきゃいけないことは沢山ある やらなきゃいけないことが沢山あるからなんにもしたくなくなっちゃったのかもしれないし なんにもしたくなくなっちゃったからやらなきゃいけないことが沢山溜まっていっているのかもしれないし その両方かもしれないし 両方とも実は全く関係していないかもしれないし とにかく、なんにもしたくなくなっちゃった夜 自分の心が難しい 急にポジティブができたり 上手くバランスが取れたり なんにもしたくなくなったり 人に期待してい

          なんにもしたくなくなっちゃった夜

          どうすれば王子様は助けに来てくれるのか

          うつ、ないし抑うつ憂鬱、が辛いのはそれはそう。 精神疾患等メンタル関連ディスアドバンテージ、これは必ずしも正しい表現ではないが、これらに悩む人のエッセイ、よくあるコメント、「こういう人たちには必ず『良き理解者』がついている」、「『良き理解者』、たいていの場合は恋人等パートナー、がいてくれればそれは楽な話はない」、それもそうかもしれない、だけどそんな風なコメントをもらった投稿主はどう思う?、普通に鬱陶しいと思うと思う、嫉妬や羨望や憧れは抱く、それは人間、だけどそれをもってしか

          どうすれば王子様は助けに来てくれるのか

          自分のことを考えてみよう④ -自己評価遍歴-

          いつもお世話になっております。みずたまです。 今日は、これまで自分がしてきた自己評価について書こうと思う。というのも、最近ぼんやりと自分について考えていてふと腑に落ちたことがあって、おそらくその考えは、今まで下してきた自己評価の中で最も現状に自分に近いものなのではないか、すなわち、今自分は一番正確な自己評価をできているのではないかと思ったのである。多分、間違っている。数日後か、数か月後か、数年後に、きちんと訂正することになるだろう。だけど、今現在の考えを書いておくことは、き

          自分のことを考えてみよう④ -自己評価遍歴-

          自分のことを考えてみよう③ -怒りと我慢と準備-

          (スキをいただくと嬉しいですね。ありがとうございます。) 今日は、我慢について考えてみようと思う。というのも、今日、新年始まって2日目、早速不機嫌な1日を過ごしてしまった。きっかけは些細なことだったけれど、午前中に生まれてしまった不機嫌を1日抱えて生きるのは相当体力を使う。怒っていると、人に嫌な思いをさせてしまうし、自分も不快だ。 怒りについていろいろ考えながら1日を過ごし、そしてnoteの画面を開いてみた。何か書こう、そう思って「応募する」のページを眺めていると、「我慢

          自分のことを考えてみよう③ -怒りと我慢と準備-

          2022年の豊富 -いっぱいnote投稿-

          2021年はどういう年だったという切り口は、新年の抱負を語るためのいい導入になり得るけれど、ただし去年がどういう年だったかを語ることはそんなに意味があることじゃなかった。去年がどういう年だったかの如何に関わらず、私はもう今年の目標を立ててしまった。何より、去年はあんまりいい年だったとは言えないから、語るにはそれなりのリスクを負わなくてはならなくなってしまう(それでも、その前までの年と比べれば何倍もましだけど)。面倒な書き出しになってしまったけれど、かくして私のエッセイは今年の

          2022年の豊富 -いっぱいnote投稿-