銀のスプーンのメッセージ
半分に折れ曲がったスプーンを見たとき、感じたメッセージは「自由」だった。
それは私にとって、もう隷属しては生きられない、ということと同義だ。
会社を辞めた後、やっぱり不安になって何度も就職活動をしたのだが、その度に不可思議な事があった。
ある会社は出社3日目、帰り際にエントランスで、同期入社の子が「この会社変だよ」と耳打ちしてきた。経理に配属された女の子だった。聞き返す間もなく彼女は去り、その後二度と会わなかった。
胸騒ぎがして急いで帰宅すると、父が倒れたと連絡があり、慌てて病院へ向かった。原因不明の高熱が1週間続き、通院看護していた母も自転車事故にあって骨折した。私が両親の看護に専念しなくてはならない、とその会社をやめることにした。
退社届を出した後、廊下を歩いていたら、背後を引っ張られ、給湯室に引き込まれた。振り向くと、この会社で一番若い社員の女の子が「本当のこと教えてください!やっぱりこの会社、変なんですね?みんな辞めてゆくんです…同期はもう一人も残ってないんです」と涙目で訴えてきた。
「いやいや、おかしいと思わないの、最初の契約時と話が全然違うし。週休二日はオフシーズンの間だけ、繁茂期は休みなしで10日連続出勤必須、しかも土日の出勤は「善意のボランティア」扱いで給料つかない、ボーナスもでないとか、労基に訴えたらどうするつもりなの、悪いけどこれ幸いとやめさせてもらうよ」
と思ったけど言わなかった。
彼女の背後、壁の向こうから上司がこっちを見ているのがわかった。すがりつく彼女を何となく穏便に無難に受け流して、廊下に出た途端にダッシュで大通りまで走って逃げた。今はたぶん、あの会社はもうないと思う。
次の会社は、面接時から「ブラック臭」が漂っていた。
給料も勤務時間も好きにして良いから、とにかく早く入社を決めて手伝ってほしい、と面接官に切実に訴えられた。とりあえずバイトでも良い、というので来た初日、ロッカールームで見たのは大量の制服Tシャツと、今使われたばかりのシャワールームだった。ロッカールームの隣は仮眠室になっていて、誰かがいる気配がする。
私がこの業界に入った頃と変わっておらず、徹夜や残業続きの超過激務に若手社員は喘いでいて、皆んな顔色悪く、目が空ろだ。一部の幹部社員の威勢だけが良くて、社屋前には外車がずらりと並んで壮観だった。
昼休みに休憩室で会社のことを聞くと、若手社員たちが一斉に不満をぶち上げ出した。最後には皆んな「一刻も早く辞めたい」という意見で一致していた。
しかし、同僚になる予定の、配属先の女子社員は帰り際にこう言い残した。
「皆んな辞めてっちゃうけど、私は辞められない。あなたもきっと辞めていくと思う。そうすると、後始末するのは私なの。お願い、傷が浅いうちに決断してください。次の出社日、あなたが来なくても私は恨まない。でも仲良くなって三ヶ月後だったら辛すぎる。この会社は相当変だと思う。辞めるなら今だから」
そして次のバイトの日、関東地方に戦後最大の台風が上陸した。
交通機関はストップし、電話は通じず、連絡がつくと、会社は対応に追われて、おおわらわだった。
「大変な時にお役に立てそうにないので辞めさせてください…」
気づくとそう申し出ていた。
その後、この会社は受注が激減したと聞く。今もあるかどうかわからない。
最後の会社は、自宅から自転車で通える距離だった。
満員電車での通勤はしたくないという私の願いは叶えられたが、勤務時間が朝11:00から夜11:00までと極端に遅かった。
この会社のクライアントが、キャバクラやホストクラブが主だったからだ。
経営者の「とりあえず明日から来てよ」という言葉に、前回の会社と同じ臭いがした。
即答を避けて帰宅すると、中国で奇妙な肺炎が流行しているとニュースで取り上げていた。
この病気を見分ける方法は困難で、昨日まで元気にしていても、体調が急変する可能性があり、死後は顔を見ることさえままならず、葬式もできないと報道していた。
明日、死ぬかもしれない状況を液晶画面に見ながら、本当にこの仕事がしたいのかと考えていた。
もう、自分を偽れない。私は就職辞退の「お祈りメール」を書いた。
歓楽街の仕事は波があるけど、ここまで高低差の激しい時期はなかったのではないだろうか。たぶん就職していても、今は仕事がなくて辞めていただろう。
あのとき決断した自分に感謝している。
仕事を辞めてから毎日、炊事掃除など家事をして、ベランダの植物の世話をしたり、本を読んだり、映画を観たりしていた。
ストレスを全く感じない生活って、生まれて初めてのような気がする。
全くってことはないな、不安はいつもいっぱいだ。
でも考えたら、何かに付属していない状態って初めてなのだ。
今までは、いつも学生だったり会社員だったり、妻や母親、PTA役員や町内会班長、嫁やら義姉やら娘として、何らかの義務や責任を果たさなくてはならない毎日だった。
もちろん、今でも役目は果たさなくちゃならない場面もあるけど、そういう肩書きなくして自分でいられる居場所が、自分の中にある。
それを見つけられたのは、あのスプーンを曲げた場に居合わせたからだ。
ありがとう、ありがとう。
あのスプーン、かんざしの持ち主のあなたに感謝します。
今はもう、あなたに会うことはないけれど
どうか幸せでいますように。
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