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総合商社の片隅から(10):ビジネススキルとしての語学力とは

前回は、商社マンに求められる語学力について触れてみた。意外に思われる方も多いかも知れないが、総合商社で働く商社マンの中でも英語習得に苦労している人は多く、劣等感コンプレックスを感じている人が多いのが実状である。ところが、実のところ語学コンプレックスがあるくらいの方が仕事や出世で成功を収めているケースが多く、語学力とビジネス力が反比例しているのではないかと疑われる。(もっとも反比例といっても、何らかの統計値に基づくものではないので、個人的な直観に過ぎないと言われれば、その通りなのだが。)

今回はその理由について考察したい。

語学力とビジネス力が反比例する理由

まず、周囲によりも語学に堪能だと内心嫉妬される。上司に語学コンプレックスがある場合、上司からも嫉妬される。もし上司に充分な状況報告しないまま案件を進めれば、規則違反はしなくとも上司の不興を買うという事実上の「仕事の失敗」を犯すことになる。なかなか話の通じない上司にいらだちを覚えたり、対応をするのが面倒くさいという気持ちが芽生えたりすると、気持ちが態度に出てしまい、仕返しのように低い社内評価が付けられてしまうこともあり得るだろう。右肩上がりの時代において出世が遅れた先輩方の中には、赴任先で語学習得に力を入れる程、上司に虐められた経験を持つ人も相当数いたように見受けられる。

次に、単なる便利屋(語学屋)として使われてしまう可能性が高くなるという問題がある。語学力だけを理由に、上司からの手元に置いて置きたい便利な人材とされると、裏で異動の邪魔をされる可能性がある。逆に、上司に気に入られている場合には、語学力を理由に他の部署に引き抜かれないよう、語学力を隠せを指示されている人も見かけたことがある。

最後に、語学力があることが却ってビジネス上の妨げになる場合があることについても触れておきたい。例えば、交渉において、相手が使っているマイナー言語を理解できるとする。相手が自分たちの話す言語を理解出来るということを知らなければ、相手の内部の会話を理解し「相手の本音」を知ることが出来るかも知れない。しかし、相手に言語力を警戒されれば、そのような機会は失われることなるだろう。

要は、語学力は本当に必要な時まで隠しておく方が良いのである。
「能ある鷹は爪を隠す」と言っても良い。

立ちはだかる語学力の壁

また語学力は、個人のセンスに依存する部分が大きく、努力したからと言ってうまく習得できるとは限らない。特に、ネイティブ並みの言語能力が身に付くかは幼少期にどのような環境で育ったかに依存するという9歳の壁がある。9歳の壁については、「抽象的な思考が出来るようになるまでの発達段階か否かを分ける壁」などいくつかの定義あるが、要は、英語力なら英語を勉強するのではく英語で勉強出来るようになれるかどうかの境目ラインということだ。だから、日本語で英語を勉強しているうちは、本当の英語力は身に付かない(英文解釈能力や翻訳・通訳力は身に付くかもしれないが)。

外国語で教育を受けた帰国子女等、既に外国語が堪能な人を見て、どんなに羨ましく思っても、日本で努力しても追い付くことは出来ない。必要なのは努力よりも環境だからだ。

有能な人ほど語学力を重視しない理由

ビジネス上必要となる最低限の英語力は必要だ。しかし社会人になってから貴重な休暇を潰して語学力を身に着けようと努力したとしても殆ど報われず、寧ろ、残念な結果に終わることの方が多いのだとすれば、有能な人ほど、期待裏切らないところに力を入れるのが正解と考えるのではないだろうか?

語学力にコンプレックスを持っている人ほど、ビジネス上の実績作りに邁進し、出世の為の社内政治に注力するのは、そういう理由にもよるのだろう。

結果、ビジネス上の実績を残し、社内で出世している有能な人ほど、語学力が高くないという現象が、結果となって表れているのではなかろうか。

次回のテーマ

さて、語学力を話題に、日本語以外の言語の前提として思うところを書いてみたが、実は、日本語の使い方についても同様のことが言える。私個人の失敗経験をベースに、次回は、その辺りについて触れてみたい。


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