見出し画像

タイから見た領土認識

周囲を海に囲まれた日本に生まれ育った日本人からすると、肌感覚的にはなかなか理解し辛いのであるが、陸続きの隣国というのは、歴史的な経緯もあって、お互いが相手に領土を取られたと思っている。

例えば、ラオスに行くと「我々はタイに17つも州を奪われた」みたいなことを耳にするし、カンボジアは、メコンデルタをベトナムに取られたと思っている。自分たちの土地を奪われたと敵意を抱く相手を嫌うのは当然といえば当然で、ラオス人はベトナム人は人を騙すと公言するし、カンボジア人は子供に注意するのに「そっちに行くとベトナム人がいるぞ」と脅すらしい。

また、公教育による潜在意識の刷り込み効果も大きい。タイの「中高等学校教育地図帳」に載っているタイの最大版図(ラッタナコーシン朝、ラーマ1世治世時)によると、現在のラオス、カンボジアのみならず、ミャンマー東部のシャン州、中国の西双版納(シップソンパンナー)、ミャンマー南部のタニンダリー管区(ダウェー以南のアンダマン海側)、マレーシア北部3州(旧パッタニー王国領、クダー、クランタン、トレガンヌ)までが組み込まれている。

これは、タイによる直接支配が及んだ領域というよりも、タイと朝貢関係にあった属国のそのまた属国までを組み込んだ勢力範囲に過ぎないが、タイ人に刷り込まれた意識としては、最大版図からみた「失地」として映るはずである。現在のタイ王国の領域を重ね合わせてみると、その差が歴然とする。

この(タイから見た場合の)領域の縮小は、欧米列強、すなわち英仏による植民地獲得競争の結果としての圧迫と映る。特にラオスやカンボジアのあたりは、歴史的な経緯からみて、「フランスの進出よる仏領インドシナ化に伴って勢力圏から無理やり切り離された地域だ」とタイ人は認識しているはずである。

上図:タイの領土喪失の歴史


この一連の領土割譲は、アジアに進出してきた欧米列強のパワーゲームとしての植民地獲得競争(陣取り合戦)の中でみると、次元の違った景色になる。


次に、カンボジア側からみた場合の領土認識について触れたい。


(2)「カンボジアからみた領土認識」へ

(目次相当の導入部はこちら

ここから先は

90字 / 1画像
この記事のみ ¥ 100