総合商社の片隅から(13):多様性を前にして思うこと

昨今、ビジネス界隈(財界)でも多様性ダイバーシティの重要性が説かれるようになった。

私が、2020年の中頃から耳にするようになったのは「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)」だ。英国WIREDのオンラインイベントに参加すると、盛んにことの言葉が連呼されており、登壇者の多様性(といっても、人種的背景(特にアフリカ系)やジェンダー(特に女性)、年齢(特に高齢者)に関わらず、新規に雇用されたり、職場で活躍したり、個人事業主として成功した事例が盛んに紹介されていた。

但し、日本では、多様性の方はともかく、包摂インクルージョンの方は、殆ど注目されていない。「誰もが活躍できる社会」などと解釈されているのを見たことがあるが、正直ピンとこないだろう。「誰もが活躍できる社会」を目指そうと言うと、あたかも今がそうではなかったと暗に言っている(認めている)ように聞こえるし、そもそも日本では、社会的包摂ソーシャル・インクルージョンを語らなければならないほど「社会の分断」が深刻だと認識されてこなかったからだろう。(実態は別として…)

少なくとも、言葉としての「社会的包摂ソーシャル・インクルージョン」は、社会的排除ソーシャル・エクスクルージョンを生む「社会の分断」が前提条件となっているのである。

なお、ダイバーシティの歴史について英語のサイトを中心に検索してみたところ、各国・地域ごとに異なる歴史的な背景があることが分かっただけで、自分には何かを語るだけの知見も、深刻な理由もないことがわかった。

ただ、以下の日本語サイトは、多様性ダイバーシティについて(日本語で書かれているだけあって)日本人向けまとめられており、分かりやすいと思ったのでご紹介したい。

さて、このテーマは「ここで終了!」としても良いのだが、前回、タイでの多様性体験について書くを宣言している手前もあり、総合商社における多様性ついて、私が経験してきた範囲で、思うところを述べてみたい。個人的な経験に基づく偏った見解とは思うが、多少なりとも独自の視点や情報を提供出来ていれば幸いである。

商社マンの多様性

総合商社の現場では、個性が強い人が多いとは感じることはあるが、本社採用社員の学歴は、ほぼ全社員が大卒以上であるし、殆どが日本人である。女性の総合職は採用段階では年々増えて来てはいるものの、過去の蓄積もあって男性優位には変わりなく、事務職は当然ほぼ全て女性だ(男性事務職が誕生したときは話題になった)。終身雇用でかつバブル世代がまだ現役である現在、年齢別の人員構成の歪みは非常に大きいにも関わらず、いまだに年功序列人事が基本系となっている。つまりメンバーシップ型雇用形態がベースにある。

もちろん最近は中途採用も増え、従来では考えられなかった人が採用されて来ていることもあって、社内にいると「多様な人がいるな」と感じることはある。しかし、中途採用される人の中心はジョブ型雇用の人がメインで、メンバーシップ型で採用しても馴染めずに辞める率が高いと感じる。全体を見れば、やはり、組織の構成員として代替可能な「非常に均一なジェネラリスト人材」が集められた職場なのではなかろうか。

一方、海外に出ると様変わり


上記の通り、本社が「均一な人材」の集団が母体であるせいか、商社マンとして一歩海外に出てみると「これぞ多様性!?」という体験をすることになる。私個人のタイでの駐在経験を基にすると、現地社員は、男性社員より女性社員の方が圧倒的に多く、直属の部下も8割が女性だった。語学の堪能な人材のうち女性が占める比率が高いせいもあるだろうが、決して事務的な仕事だからという理由ではなく、管理職も含め女性優位だった。

なお、個人単位では、社内でも男女の区別自体が困難と思われるケースや、女性同士が手を繋いで歩く姿も頻繁に見かけたが、そういった点は文化的な土壌の為と思われ、私がとやかく言う筋合いのことではない。

現地採用社員は、職種もいろいろで、社用車の運転手からお茶出し担当まで「同じ社員」として働いている。但し、明確な職務領域が定義されており、他の領域を手伝うことは基本ないし、職務内容は、その人の能力を見て、処遇とセットで考えるのが大前提だ。つまりジョブ型雇用が基本形なのである。また、より良い待遇を求めて転職するのが当たり前なので、もの凄い勢いで人が入れ替わって行く。駐在員の仕事も、相当の割合が人の採用活動に費やされることになるのだが、メンバーシップ型の雇用形態に魅力を感じる人も一定数おり、個人能力よりも企業への忠誠心ロイヤリティが評価されることになる。

また、少し脱線するが、地域の管轄機能が置かれるシンガポールの指示が出ることがあるのだが、お国事情が異なり過ぎて苦労ばかりだった。地域目線で良かれと思って行うことは、地場では裏目に出ることが多く、国を跨いだ地域連携の強化などは、その最たるものだった。この辺りの機能の拡張を強調すればするほど、処遇を巡る交渉が難航し、それを理由で辞められてしまうケースもあった。振り返れば、グローバル経済が求める効率化や付加価値向上と、同じ業務内容でも処遇の向上を求めてくるローカル経済の狭間で苦しむ日々だったと思う。これらの経験を多様性というキーワードで語るのは本来無理があるように見えるが、実は水面下で繋がっていると思っている。

つまり、

多様性とは、本来、グローバル経済が社会にもたらした「結果」であって、個々人が自ら進んで求めて来た「目的」ではなかった

ということだ。

シンガポールに出張すると、スタッフの国籍が様々で、シンガポール人以外に、オーストラリア人も、インドネシア人も、インド人も社員として働いていた(現在は、シンガポールの雇用関連法規制の強化で、就労ビザの取得が困難なようだが)。見た目も母国語も様々で、多様性の体現という意味では分かりやすい環境だったが、グローバル経済における中流層という意味で、一定の枠内の収まる存在なのだと思う。

昨今は、多様性を認めること自体が「良いこと」「目指すべき姿」のように語られ、あたかも社会全体の「目的・目標」であるかのように標榜されているが、実態は、その方がグローバル経済が求める効率性が高まる(つまり、企業が儲かる)からであって、実際には、その原則下でのみ各施策が検討され実施されている。

例えば、

  • 現地採用職員の管理職への登用

  • その前提としての社内における英語公用語化

  • 外国人労働者の受け入れ

  • 能力ベースの専門職採用(ジョブ型雇用)の推進

  • ジョブ型雇用と親和性の高い実績ベースでの評価・報酬制度の導入

  • シニア社員の定年後の再雇用(ベテラン社員の安価での雇用)

  • 障碍者雇用の促進(罰金の回避、報奨金の受給)

などだ、一方、以下は遅々として進まない

  • 性差(ジェンダー)格差の是正

  • 子育て・育児・介護等との両立を目的とした時短勤務制度、在宅勤務制度

私が「多様性」と聞いて、なんとも落ち着かない気分になるのは、あいまいな言葉のイメージの中に、多様な要素を一緒くたにして語ろうとしている「企業の本音」が透けてみえてしまうからだろう。

超固い話で、ここまで引っ張ってしまった。最後まで読んで頂いた方、誠にありがとうございました。

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