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煩慮だらけ

別に心配されたいわけでもなければ、
心配されなきゃいけないような状態では全くないので、
大丈夫なんですが、
書き留めておきたいことがあるので書きますね。

24時間卒業式のフィナーレにいてくれた人には
何となく伝えていたことなんですけども、

やっぱりね、
人が怖いんですよね。

昨日くらいからまた悪化してきて。

悪化って言っても自分の中だけだから
別にどうってこともないんですけど。

とはいえあまりに一人の時間が長いもんですから、
今まで見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきた、
こう云う自分の醜い部分とも向き合うようになって。

で、何でこう云うことになってるのか、
メカニズム的な部分まで考えるようになったんです。

あまり詳しくは書きたくないのですが、

弱い心をベースに、
これまでの経験とかトラウマだとかが
積み重なってできた感じです。

僕は基本的に人から怒られた言葉とか、
注意していただいた言葉が
半永久的に、一言一句、脳から離れなくなるんです。

最近までみんなそういうもんだと思い、
その中でみんな我慢してるんだと思って生きてきたのですが、どうやら違うみたいで。

だから自分のやりたいことをやるよりも、
怒られないように
注意されないように
が最優先なわけです。

これに関して、
良い悪いとかのジャッジは求めてないので大丈夫っす。

僕自身がそういう生き物なので。

そして、このメカニズムを脱却するためには、
弱い心っていうベースを変えなきゃ
何ともならんわけですけど、
心の根本なんてなかなか変われないわけで。

だから、今は何とか、
優しい世界を見つけ出すか、
優しい世界を作り出して、
その中で生きていくのが最優先だな、
なんて思ってたわけです。

今は音信不通になっちゃったけど、
相棒でいてくれた寛斗は僕からしたらどこまでも優しかった。

だから僕にしては珍しく何でも話せた。

彼みたいな優しさが欲しかった。

俺にその優しさがなかったから
こうなったわけで、
優しい世界を作るためには、

自分が一番優しいやつにならなきゃなんて思ったりもしますが、

元来小根が腐ってる人間が、
やっぱりそんなにすぐさま優しくなれるわけもなくて。

過去の自分を振り返れば振り返るほど、
優しくなかったクソみたいな己の言動が溢れ出してきて。

そのくせ、じゃあ今、それらを完璧に直せているかといえばそうでもなくて。

結局、人が怖いから、
自分の意見を押し殺して、
そのジレンマで誰かを傷つけたりすることもあるし、

人が怖いから、
何者でもないくせに、
無理やりポジションを固めて、
自分が傷つかないように傷つかないようにした結果、
そのツケを誰かになすり付けてしまうことがある。

そんな自分が嫌で嫌で仕方ないけど、
結局変われてないから、
そんな自分もどこか好きなんだろうね。嫌だけど。

そんなことに思い悩む一方で、

笑いに救われたりする。
笑いに憧れたりする。
笑いを求めたりする。

ただ、「笑い」ってのがまた厄介で、
時に「優しさ」ってのと真逆に位置してたりする。

信頼関係がある上での笑いは時に人を傷つけかけることも多々ある。

イベントの司会者として、
幾度となくその線引きに悩んできたけれど、

今一度その線引きを厳しくするべきなんじゃないかと、思いだしている。

一度死ぬって決めた人間が、今こうして生きてるのは、
「今日じゃなくていっか」の延長戦でしかない。

信頼関係がいくらあろうとも、
そんな奴が人を傷つける資格なんてないはざだ。

でもその結果、手放さなきゃいけない笑いも増えちゃって、
そこに後ろ髪を引かれる自分もいる。

ありのままの自分が、優しい世界で人を笑わせてたい。

それは果たして可能なんかな?
どこまでずらしたら実現可能性が生まれるのかな?

そんなことを考えると日が暮れ出す。

一生懸命自分の人生を生きている人は、
それはそれは素晴らしく。
誰かのために生きている人もまた素晴らしく。

ベンチに座り、そんな人たちが家路に着く姿を眺めながら、思い悩む。

いつかうまくいくんだと思う。
全部繋がってるから、何か一つだけでも動き出せば、芋づる式に。

すごい闇に落ちてるような文章だけど、
ヘッダー画像を一人でカッコつけて撮るくらいには余裕があるので、心配しないでね。

今日を精一杯生き抜いているみんながすごいよ。

水谷駿介

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