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七五三

2日連続で、晴れ着の男の子を見た。最寄りの駅の近くには大きな神社があるから、お参りに来たのだろう。1日目の子は黒に金刺繍、2日目の子は白地に紫や金、黒の飾りが入っていて、男の子も派手なものだな、と思った。かわいかった。

七五三は子どもの成長を祝い、健やかな成長を祈願する行事で、毎年11月15日に行われるものらしい(前後の吉日や休日でもok)。気候がいいからこの時期なのかな、祝日も多いしね、くらいに思っていたので、七五三サイトを「へぇー」と眺めながら初めて学んだ。こんなふうに、日々自分の世間知らず度が明るみになる。情けなし。(みんなどこで覚えるの?)


派手な袴を着たあの子たちと同じように、わたしもしっかり七五三のお祝いをしてもらった。とはいっても、記憶にあるのは「口紅」のことだけだ。

生まれて初めて、真っ赤な口紅をひいてもらった3歳の私はなぜか、「絶対に口を閉じてはいけない」と思い込んだ。唇がひっついちゃうと思ったのか、ただベタベタするのが嫌だったのか。その心境は覚えていないけど、とにかくずーっとポカンと口を開けていた。
当然写真も全部おんなじポカン顔だったので、その後何度も「あのとき口閉じられなくてね〜」「とぼけた顔してるよね〜」と家族中から笑われた。

千歳飴を食べたのか、ご祈祷を聞いたのか、父や母の様子は。そういう、七五三に関するほかの記憶はまったくない。よく聞くような、初めてお化粧をする高揚感や、お姉さんになったうれしさがあったのかも分からない。ただ口を閉じられなかったことだけを覚えている。


と、書いたけれど、これは別に祝事っぽい話ではないし、奥行きもないし、輝かしい感じもしない。「だから?」で終わっちゃいそうな、しょうもなすぎるエピソードだ。
それでも、ひとつでも「あのときさ〜」と共有できる記憶があってよかったな、と思う。それは確実に「思い出」があるってことだから。あの口紅のおかげで、わたしは七五三をお祝いしてもらったことを四半世紀経っても覚えているのだから。


今の自分と同じくらいの年齢だった両親が、次女のわたしにもちゃんと晴れ着を用意し、きちんとお祝いの場を設けてくれたことが、どれだけすごいことか。その「大人らしさ」に、頭が上がらない。わたしは七五三の時期さえ知らないのに……。
せめて一生、あの日の口紅を忘れずに、思い出話をし続けることで、感謝の気持ちに代えたいと思う。いつまでも3歳のわたしを笑ってください。


ちょうど今日読み始めた本にこんなことが書いてありました。

経験からは、その瞬間の喜びだけではなく、後で思い出せる記憶が得られる。
(中略)
元の経験に比べれば、記憶から得られる喜びはほんのわずかかもしれない。それでも、その思い出はかけがえのない宝物だ。

『DIE WITH ZORO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』ビル・パーキンス 児島修・訳



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