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目的地を決めない旅が自分の人生を海外に導いてくれた話

旅のはじまり

7年前の夏。当時25歳だった自分は擦り切れながら働いていた。

忙しい職場はホワイト企業という言葉とは哀しいほどに縁がないところだった。黙っていれば自動的にお盆に休めるような職場とは違い、夏休みを取るのも一仕事。1)職場に穴があかないように、2)先輩の顔色を伺いながら、3)なんとか被らないように休みを取るのだ。この3条件をクリアするのはなかなかに難しい。

切っては捨てるほど湧いて出る仕事という名の雑用を、やっつけやっつけようやっと頃合いがついた頃にはクタクタで。なんだか寒気までしてきた。今週末から休みとっていいぞ、と上司から許可をもらったはいいが、時既に遅し。風邪で寝込むというのが夏休み初日の幕開けだった。

旅に魅せられたきっかけ

もともと旅が好きだった。大学生のときに地方活性化のゼミで限界集落を何度も訪れたのがターニングポイントだった。

都会育ちで田舎のない自分。迂闊なことに二十歳になるまで稲を見ることもなく育ってきてしまった。秋の夕暮れになんだか黄金色の綺麗なものが風にたなびいていたのに感激して、あれは何かと集落の人に尋ねて絶句させたのが自分だ。辺り一面田んぼの道路のすぐ側、夜の自動販売機の光の陰で何かが蠢いた気がした。何だろうと無闇に近づいて、ガラスに張り付いた大量の虫と蛙に大きな悲鳴をあげて腰を抜かしたのが自分だ。

そう、なんでも知った気になってなんにも知らなかった世間知らずの子ども。日本人なのに日本のことを知らなくて、知りたくて。集落のおじいさんおばあさんに優しく菓子やら茶やらを際限なく恵まれたり、時には素気なく塩を撒かれたりといった日々に何かを感じた。ときに目に飛び込んでくる初めて見るのに懐かしい風景で泣きたくなるくらい安心した。

観光地ではない、どこかもっと生活に根ざしたところで出会う人やものになんだか無性に心惹かれた。もっと知らない世界を見てみたい。特にやりたいことも夢もないと思っていたけど、こういう旅だけはずっと続けていきたいな。

そんな秘めやかな決意は、しかし就職後の忙しい日々を前にあっさりと後ろに追いやられていたのだった。

夏休みの過ごし方

話は戻って夏休み初日。

軽い風邪というよりただの疲労だったのかもしれない。1日寝て過ごして夜になったら体調が戻ってきた。

さてせっかく休暇が取れたけど、友達に明日から旅行行かない?なんて急なお誘いはさすがに出来ない。残念だけど、今年の夏休みはこのままだらだら寝て過ごすことになるかな。

そんな考えがよぎった瞬間、なんだか急に心がずどーんと重くなった。夏休みを取るのにこんなに苦労するくらいだ、旅行のために有給使う未来なんてとても描けない。せっかくの休みをみすみす逃していいものか。そこで大学時代の旅の想い出が脳裏によぎった。

今こそどこかに行きたい。行かなくては!

よくわからないままに強烈な想いが込み上げて持て余してしまう。とはいえ具体的な案は何もない。行き先を決めて予定を立てるのにも時間がかかる。下調べに少なくとももう1日はかかるかな…ああ予定立てるためにもう1日使っちゃうのかぁ。もったいない。なんで夏休みの計画を夏休み中に立てなければならないのか。そこでふと思いついた。

それなら目的地を決めずに旅に出たら良いんじゃないのか、と。

自分の思いつきに少しドキドキしながら夜行バスをチェックしてみる。東京発~大阪行きのバスが最後の1席空いていた。今は夜の21時、出発は今夜23時。シャワー浴びて荷物を引っ掴めばぎりぎりでバスに間に合っちゃう。どうしよう?と迷ったのは一瞬。行かないと絶対に後悔する!直感で行かなきゃいけない気になった。

運を天に任せてみよう。

これが忘れられない夏休み、旅のはじまり。

目的地を決めない旅

予約締め切り数分前にボタンを押してチケットを抑え、ほんとにぎりぎりのぎりぎりで東京を滑り出るバスを捕まえた。だがしかし、まだ心の準備は出来ていない。さっきまでベッドでぐだぐだしてたのに急に夏休み旅行が突発的に始まってしまったなんて。

しかもただの旅じゃない、目的地のない旅だ。

東京駅を出発した夜行バスはすぐに暗くなる。携帯での調べ物には不向き。ちょっとした不安はあるけど、でもそれよりもっとずっとワクワクしてる自分に気付く。

もうこうなったら全部運まかせだ。明日バスターミナルに着いたら、そこから真っ先に目についた長距離バスに乗り込んでさらに進もう!

翌朝が楽しみになる思いつきに満足したらまた睡魔が訪れてきたから現金なものだ。その後はちょっとした冒険心を抱きつつ、ただ眠りについた。

旅のスタイルは縛りプレイで

バスの所要時間は約9時間。ぐうすか寝こけて気付けば難波のバスターミナルに着いていた。寝ているうちに目的地に着くなんて!なんて合理的なんだ!!

これはちょっとした自慢だが寝付きの良いことには定評がある。母から聞かされた小言によると、赤ん坊時代には睡眠欲を優先してひたすら眠り続け全くお乳を飲まないものだからやせっぽっちだったらしい。これぞ鈍感力。

さて、バスターミナルではじめに見た長距離バスが今回の目的地と昨夜決めていた。いったい運命は自分をどこに連れて行ってしまうのだろうという気になる。動くのは自分なのにおかしな話だ。だけど旅のスタイルをゲームよろしく縛りプレイにするアイディアは悪くない。

ただやはりバスを目にすると自然と緊張が走って伏し目がちになる。何度かバスの行先表示を見ないようにやり過ごしたところで、ちょうど前方からやってきたバスを目の端に捉えた。意を決して顔を上げる。

こうして行き先は島根県・出雲大社に決まった。

いざ島根へ

再度寝て起きて寝て起きてを繰り返しつつ、約6時間かけてたどり着いた島根県。バスの長旅続きでそろそろ腰と尻が悲鳴を上げ始めたところだがやっぱり楽しい。24時間前には思いついてさえもいない場所まで来てしまったと思うとバスのなか一人笑みが溢れる。

午後をだいぶ過ぎて着いたはいいが、この時点でまだ宿は決まっていない。しかも当時ホームページはあまり整備されていなくて、バス停からかなり遠くのホテルが数件ヒットしたのみ。
さすがに無謀だったかも、と思って心持ちそわそわしながらFacebookを開いたらほんとにたまたま最近始まったばかりのゲストハウスがあることが分かった。さっそくオーナーさんに電話してみると突然すぎる来訪にややびっくりしながらも迎え入れてくれた。なんて幸運なんだ。

島根でゲストハウスデビュー

着いた先は一見すると普通の戸建て住宅のようだった。今となってはゲストハウスとして珍しいことだとわかるが、当時は何もかもはじめて。大学時代に人様のおうちにあがった気持ちをまざまざと思い出した。

実はこれが初めてのゲストハウスデビューだ。

オーナーさんはちょっとシャイでとっても良い人だった。早期退職をしてゲストハウスを始めた理由は、旅行者と出会う場所を作ることで旅の気分を味わえるからということだった。自分で旅行に行く代わりにいろんな人に立ち寄ってもらう。そんな考え方があるんだとすべてが新鮮に感じた。

陽が落ちる前に出雲大社へお参りをする。神社仏閣はその地域を感じられるからいつだって好きな場所。歴史ある鳥居の大きさ、境内の広さに度肝を抜かれながらとことこ縁結びの神様のもとへ挨拶をしに行く。今日ここに来ることは自分でさえも予想出来なかった。これこそ縁だよなあと思ってしばらく余韻に浸ってみちゃったりする。

そうこうするうちに陽はすっかり落ちてしまい、濃紺の空に灯籠が明々と火を灯しはじめた。境内がまるで違う空間になったかのようで神秘的な光景だったけれど、参道を引き返す途中には灯籠の合間合間に立ち並ぶ樹々の暗さに少したじろいだ。昼間の暑さが嘘のように夜風に流されていくなか、行きと違う風景になんだかどこかへ迷い込んでしまったみたいだなんて幻想めいた考えを抱いたことをよく覚えている。あえぎ泳ぐようにしてようやく鳥居まで戻ってきたときには少し安心した。

ここまでは、もうそれだけで充分大冒険をした気になっていた。

初めてのハロー

ゲストハウスについたら1人の外国人の旅人がいた。今日は自分とこの寡黙そうな外国人の2人だけが宿泊者のようだった。

そのときの自分は英語がてんでだめで、日本語の喋れない外国人とまともに会話した経験がなかった。

この人と話したらなんか面白そうだけど、どうしよう?

彼はコンビ二で買い込んだ稲荷寿司をまさに食べ終えようとしていたところだった。自分から話かけないと彼が部屋に帰りそうな気配を感じたので、ちょっとだけ勇気を出して話しかけてみた。これが自分史上初めてのハローだ。

真顔から急ににこっと笑って一気に親しみやすい雰囲気に変化した彼はドイツから来た旅人だった。

外国人慣れしてなさすぎて、外国人はすべて英語が話せるという思い込みがあったんだけど実は彼もあまり英語が話せなかった。ちょっと嬉しいと思いながら結局四苦八苦しながらグーグル翻訳で話すことになり、彼は日本のアニメが大好きで来日したということが分かった。なんでも某巨人が出てくる作品の舞台となった壁に囲まれた都市の出身らしく、原作者に最大級の感謝を捧げたい!この際、話を聞いてくれた君にも感謝したいと言うものだから、うっかり原作者の代理で固い握手を受け取ってしまった。

なんと彼とは同い年だった。医療関係の資格を取った彼は一年間の休暇をとって旅をしていたのだ。まず日本の東京に降り立ち秋葉原に行ったあとは、東北→北海道→富士山→名古屋→大阪→京都→四国→島根→九州→沖縄と日本を一周し、そのあとさらに中国に渡って南下、東南アジアを一周してから帰国するという話だった。これぞまさに日本のゴールデンルートという羨ましすぎるプランだったのでそれはもう印象に残っている。

北海道で買ったお土産で、富士登山のお供だったらしい洞爺湖と書かれた木刀を誇らしげに掲げて見せてくれた彼の顔は本当に輝いていた。道中の写真からも生き生きとした様子が伝わってきてこちらまで幸せになった。

自分はただただ素直に「そんなに長い間仕事を休んで旅出来るなんて本当に羨ましい。自分も日本をあちこちいろいろ旅してみたいけど仕事休めないから無理だなあ。とても苦労して受かった会社だから。」といったことを伝えた。

それに対する彼の反応が自分のその後の人生を変えた気がする。

手痛すぎる質問攻め

彼は「なぜ仕事を休めないの?それならなぜ仕事を辞めないの?」と聞いてきた。そんなに休めないのはおかしい。勉強してスキルを上げて休める仕事をすれば良いと言った。

自分は「そんなの無理だよ。例えば日本ではあなたのような医療関係の医師でさえ死ぬほど忙しいし、ましてや普通の会社員のような自分は職歴を空けることは出来ないんだよ。」と答えた。

彼は「僕みたいな年単位の旅が難しいなら、数ヶ月単位ならどう?」と言った。自分は「日本ではまず出来ない」と言った。

彼は「じゃあ海外で働いたら?」と言った。自分は「英語を話せないから出来ない。外国に行くお金も稼がなきゃいけないし。」と言った。

「それならまずお金を貯めれば良いよ。」「でもお金はそんなに持ってない」

「仕事は楽しいから辞めたくないの?」「仕事は楽しくないけどしょうがない」

「旅行はしたくないの?」「そりゃいつかしたいと思っているけど」

グーグル翻訳を介してだからとても時間がかかったけど、彼は疑問点を濁さずにどんどんぶつけてくる。そして真っ直ぐ純粋な眼でただ不思議そうにするばかりだった。それに引き換え、自分はどんどん彼と目を合わせられなくなってくる。煮え切らない答えにも彼は意に介さないようだった。しかし、自分は情けなさを自覚して恥ずかしくなってくる。でも、しょうがない、だけどという言い訳のオンパレードを発しているのは本当に自分なのか。

この質問攻めは「そういえば島根県のゆるキャラ・しまねっこを妹向けに買って帰りたいからお土産屋さん教えてよ」という会話で唐突に終わった。そのあとはオーナーさんのおすすめでアニメを夜2時くらいまで3人で見るというカオスな流れだったと思う。

翌朝自分は隠岐の島にフェリーで渡ることになっていたので、彼とはそれきり。でも彼の質問と不思議そうな眼は心の中にずっと残っていた。

ひとつの旅の終わりと何かのはじまり

はじめはこの旅が束の間の息抜きのつもりだった。日常から抜け出せたワクワク感に満足していた。でも旅が終わったら元の働き詰めの世界に帰らなきゃいけない。大変で嫌だけど、それ以外の選択肢なんて考えても見なかった。

気ままにふらふら旅出来るのは学生のうちまでで、社会人になったらもっとちゃんとしないとだめなんでしょ。そりゃ旅はもっとしたいし、英語は喋れたら楽しいだろうし、いつか海外にだって住んでみたいけど。

じゃあいつかっていつなんだろう?

この旅で出会った静かな違和感が自分の心を少しずつ旅立たせていった。

いつだって息苦しさを感じていた。だから何か劇的なことが起きないかと思っていた。行きたくもない飲み会がいきなり水漏れでキャンセルになったりしないかな、会社の周囲だけ急に停電しておやすみになったりしないかなとかって妄想はしこたましてた。

でも劇的なことってめったには起こらないから。この旅のあとからはただ待つんじゃなくて、自分からじわじわ動くようになっていった。

休みをちゃんと主張して取るようにして、休日は資格のために勉強をして、地方に知り合いを作り、隙あらば旅に出て。自分の心地よいと感じる範囲を少しずつ広げていった。

旅が少しずつだけどどんどんと自分を自由にしていった。

7年後の自分はいま

あれから7年経った。

日本は地方や離島を100ヶ所以上、海外は20ヶ国以上を訪れた。離島で数百年に1度の牛突き祭りを見たり、限界集落で農業をやったり、古民家を修復したり、中国の白タクシーに誘拐されかけたり、フィジーの海で漂流したり、モンゴルで遊牧民族に馬の乗り方を教えてもらったりのアドベンチャーを経て。いまは、ニュージーランドで暮らしている。

自分なんか何もできないと思ってたけど、少しずつ生きる術を見つけていった。

例えば英語。到底自分には話せっこないと思ってた。でも出来ないから練習するわけで、それだけ。なんのことはない。やっぱり語学も劇的なことは何もなく、初めの頃は何にも話せなくて恥をかいて笑われて。でも次第に友達が出来て、現地でバリスタの資格を取ってカフェで働いて、デジタルノマドにもなっちゃったりして、今は外国人のパートナーが出来て楽しく海外で生活している。

最近思ったのだけれど、これって少し初めての旅に似ている。初めての旅行では何を持っていけば良いのか検討もつかない。宿の取り方もわからない。移動手段の調べ方もわからない。でも一回旅をすれば次からはやるべきことが見えてくる。そして分かるようになる。その繰り返し。

自分の今いる道を振り返ってみると、あのゲストハウスで出会った彼のなんとはなしに零した疑問がきっかけだった気がする。あのとき勇気を出して声をかけてみて良かった。

そんな私にはいま新たな夢がある。それは外国人のパートナーと一緒に日本のゲストハウスを周ること。日本の色々な素晴らしいところをたくさんたくさんみせてあげたい。移動が不自由なこんな時代だけど、心だけは前のめりで旅に出てみようと思いつつ。

それはまたきっと別の旅のお話。

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