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結果発表③ #あなたへの手紙コンテスト

 10月に募集しました #あなたへの手紙コンテスト の結果を3夜連続で発表してきましたが、いよいよ今夜で最終日となりました。
 残すところ、あと3作品です。

 受賞作品の発表の前にひとつ、ご紹介したいエッセイがあります。
雪柳 あうこさんの「手紙」というエッセイです。実は参加作品のひとつなのですが、もしも『百通のあなたへの手紙』という本を作るとしたら、その巻頭言として載せたいようなエッセイでした。そのなかから一部を抜粋します。

ものを書くということは、一体全体どういう衝動なのだろう。長年、そのことについて答えが出なかった。今もおそらく出てはいない。けれど、詩や小説を書こう、書きたいと思うときに、誰かに手紙を書くような衝動が確かに在る。いつも、そのことを思う。

雪柳 あうこ「手紙」2021.

 わたしをはじめ、このコンテストに関わってくださったみなさんは誰もが「ものを書く」人たちだから、この「衝動」をきっと知っているはずです。ノートや日記帳ではなくネットの海へ放流する文章は、けっして独り言でも日記でもない。誰にも読まれないかもしれないけれど、もしかしたら誰かに届くかもしれない。届いたらうれしい。だから書いているのだろうと思います。


 今回のコンテストは、全部で100作品の参加がありました。残念ながら授賞予定だった作品からひとつ辞退がありましたので、それを除けば99作品となります。
 参加作品はすべてスプレッドシートで管理していて、すべての情報がそこに入っています。そのあたりはいずれ振り返り記事にするつもりです。


1.お手紙の宛先について

 コンテストの内容を手紙に決めたとき、みなさんは誰宛に書くのだろう?ということが気になりました。宛先が明確である手紙(作品中の手紙も含む)の宛先の内訳をグラフにしてみたら、以下のとおりとなりました。

手紙の宛先の内訳

 なかには未来の自分宛のものもありましたが、過去の自分に宛てた手紙がいちばん多く、ついで友人、親、恋人やパートナー、祖父母へと続きます。自分と家族を足すと半数を超えます。手紙を書くという行為は、自らのこころと向き合うこととセットなのかもしれません。公開前提の作品として手紙を書くために こころの奥ふかく潜っていく時、自分自身を含め、より多くの時間を共有した人のほうが書きやすいということなのでしょうか。


2.選考について

 受賞作品を選ぶときの評価項目は募集開始当初から決めていました。合計点をもとに初めて候補をしぼった段階では、20作品ほどが何らかの賞の対象になっていました。
 どの作品にもどこかに必ず「ここが好き!」があって、読み手賞を除く11本を選ぶのは至難の業。何度も何度も何度も読み返しました。大好きな作品なのに泣く泣く候補から外した作品も、実はたくさんあったんです。


3.企画運営について

 ひとりですべての作業を行っていたので、至らない点がたくさんありましたし、何より投稿していただいてから結果発表までの期間が長くて、お待たせして申し訳ありませんでした。
 でも、ひとつひとつの作品を集中して読んで、Twitter用の帯をつけたり、それを少し拡張してnoteで紹介文を書いたりするのはとても楽しく、ゆたかでしたし、参加作品にコメントが入ったり、Twitter上でシェアされていたりするのを拝見するのは、うれしいことこの上ない時間でした。

 たくさんの方々が帯や紹介文を喜んでくださって、そのお気持ちを伝えてくださったこともうれしかったです。帯を目にした人が、ひとつひとつのお手紙や作品を手にとって開いてみてくださるといいなぁって思いながら、書いていました。書き手と読み手をつなげたいという思いを乗せた、わたしからの一筆箋のようなお手紙です・・・って言ったら、かっこつけすぎでしょうか。


 キーボードのうえで喋りだすときりがないので、そろそろ発表に移りましょうか。3位から順に発表していきますね。


4.橙花とうか

 散文調で始まる冒頭の5行に、一気に引き込まれました。
 生きている限り、老いは誰のうえにも平等にやってきて、多くの可能性にだんだんふたをしていきます。老いた親の姿を目の当たりにすることは、つらい。他人ならばいいのです。気持ちに余裕をもって見ていられるから。

 でも、肉親やパートナーは違う。はつらつとしていた頃を、ぴんしゃんしてた頃の頭と身体を知っているからこそ、今とあの頃をつい比べてしまってつらくなるのかもしれません。

「戻ってこい」と言ってくれたお父さまと、長く生活を共にしてきたチズさん。濃い時間を過ごしてきたぶんだけ「あんなに・・・だったのに」は、より強かったことでしょう。現実を受け止めきれず過去を振り返りがちになってしまう、認知症の親との暮らし。
 手紙の最後で、チズさんがお父さまへ語りかけるひとことに、覚悟を決めた人の軽やかさを感じました。



5.蒼月そうげつ

 とてつもない発想に、唸りながら読みました。
 わかるのですが、わからない。わかりたいけれど、わからない。何度読み返しても余白だらけなのです。 まるで、「前略」「中略」「後略」だけの手紙のように。

 わたしにとって手紙とは「思いを伝えるために書くもの」、文章とは「何かを伝えるために書くもの」であると思ってきました。いえ、思い込んできたのかもしれないと感じ始めています。もしかしたら、すでに涼雨マジックにかかっているのかもしれません。思い込みかもしれないその前提は、根底から見事にひっくり返されました。
「あなた」が手紙のなかで書いた「本当に伝えたいことは、常に文章の外にあるのだよ」という一文に、脳天をぶち抜かれるような衝撃を覚えました。文章の外とは、手紙だとすれば行間なのでしょう。本当に伝えたいことを行間に込めるのだとしたら、本文はやはり略すほかありません。ことばで伝えようとすると、かえって伝わらない。

 手紙とは何なんでしょう? 文章とは何なんでしょう?
 言語化しようとすればするほど逃げていく世界。ことばの深淵を覗かせていただきました。

 美しい日本語で書かれたこの奥ふかい小説は、涼雨 零音さんにしか書けません。



6.白雪はくせつ

 この手紙を実際に小梅ちゃんへ出すかと問われれば、地中海性気候さんはきっと出さないと答えることでしょう。思いをことばにして伝えることで彼女が受け取ってしまう重みを、考えてしまうから。

 地中海性気候さんは復職したばかりの同僚 小梅ちゃんのこれまでに思いを馳せます。想像もつかないほど長い長い夜を、眠れないまま迎える朝を、ずっと闘いながら乗り越えてきたであろう彼女の孤独に、そっと寄り添うのです。こころの中で。
 でも、それが想像でしかないことをちゃんと知っているからこそ、地中海性気候さんも職場のみんなも、彼女との距離をていねいにコントロールしています。負担をかけないように、彼女の再スタートがうまくいくように祈りながら。

 例の感染症がわたし達の暮らしを一変させてから、まもなく2年。働きかたの調整も、モチベーションの維持も、人との関わりかたや距離感も よりいっそう難しくなり、ありとあらゆる職場で休職者は増え続けています。もちろん、わたしの働く職場でも同じです。
 本当はハグして伝えたいけれど負担をかけてしまうから、胸のなかで大きく膨らんでいる思いを「出せない手紙」にしたためる。小梅ちゃんの再スタートをそっと見守るために。

 この手紙には、そんな静かな覚悟と熱量が詰まっているような気がするのです。



7.Special Thanks

 この企画にサポート&おすすめしてくださった方々をご紹介します。


 匿名の方々も含め、この企画にサポートしていただきましたみなさま、ありがとうございました。サポートしていただいた金額は、すべて賞金に使わせていただきました。

 また、全作品を読み込んでくださったみなさま、参加作品へのコメントやシェアなどで企画を盛り上げてくださったみなさま、折々にねぎらいの言葉をかけてくださったみなさま、ありがとうございました!




ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!