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普通ってなんだろう? わたしには、これが普通なんだけど。


 ちょっと!それ失礼じゃない? マジで? 普通、スルーしないでしょ!

 そう言ったのは、娘の入部以来なかよく友達づきあいをしている野球部母。わたし、普通じゃなく失礼なことをされたのかな?って思ったら、何となくもやもやした。


 いや、別にいいんだー。
 時々あることだし、ぜんぜん気にしてないよ。

 いやいやいやいや、普通に失礼だって!


 本心から言った「気にしてないよ」を、全力で否定された。
 もやもやが、さらにもやる。

 

❅ ❅ ❅

 

 ことの発端は、プロ野球観戦だった。
 満員の球場で全力で応援歌を歌い、ハイタッチできた頃のガールズDAY。チケットを持っている女性ならばユニフォームがもらえるその日、とっくにガールを卒業したわたしは球場の入口で並んでいた。

 前にいた女性の集団に続いて、のろのろと進む。球団ジャンバーを着たモギリ担当の同年代の女性スタッフにチケットを渡し、スタンプを押してもらう。一歩進み、その奥でユニフォームを手渡している学生アルバイトっぽい男性スタッフに手を差し出したが、空振りに終わった。

 落としたわけじゃない。
 コケたわけでもない。
 アルバイト男子(仮名)が華麗にスルーしたのだった。

 たぶん、わたしはにやりとしていたと思う。ちょっとうれしかったから。
 どうせもらったところで着ない。荷物がふえるだけだ。わたしは推し選手のレプリカユニフォームは持っているし、そもそも「かわいい」デザインが苦手だから。ハートマークやピンクのキラキラが入ったガールズユニフォームは、わたし自身が袖をとおすには心地がわるい。

 ちょっと! ユニフォーム! このかた、女性よ女性。
 すみませんねぇ。

 アルバイト男子が妙齢のおばちゃんをスルーしたことに気づいた女性スタッフは声をあげ、アルバイト男子は申し訳なさそうにユニフォームを差し出した。あらためて断るのは正直めんどくさい。後から叱られたらごめんよ、アルバイト男子。にやりをにっこりに変えて、わたしは礼を言った。受け取ったガールズユニフォームは、持ち帰って同僚の野球好きの娘ちゃんにあげることにした。

 

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 でね、冒頭のお話にもどるわけで。

 友人に話したら、わたしを男性と間違えるのは「普通ではありえない失礼なこと」だと言われたわけで。わたしとしては、スルーされたのは全然気にならなくて、むしろ「まぎらわしいルックスでゴメン!」ってアルバイト男子に謝りたいくらいだったし、「おもろいネタできた!」くらいだったけれど、「失礼」になんだかもやもやしたんですよね。

 いやさ、友人は気をつかってくれたわけで、そこにもやもやするのも人としてどうかと思うわけです。でもね、すごくビミョーな気分になったの。わけでわけでうるさいねんけど、雰囲気つたわりますか?
 説明すれば解決するような気もするんだけどね、長くてまどろっこしいんです。

わたしがショックを受けたんじゃないかと気遣って、かばってくれてありがとう。でもね、わたし平気なの。なぜなら、わたし男性っぽい服装が好きだから。かわいいデザイン苦手だしね。でもね、Eテレとかでよく取り上げられる「性同一性障害」ではないの。自分の性を男だと認識しているわけじゃなくて、身体にすごく違和感があるわけじゃなくて、わたしは女性の身体でもいいの。こどもも産んでてお母さんだし、職場でも女性として生きてるし、今さら何者かになりたいわけじゃないの。ショックってね、男性に間違えられたのがショックなのか、それをかばわれたのがショックなのか、「普通に失礼」っていうのにショックを受けてんのか、よくわかんないの、今。

 ・・・って告白、いきなりされたら混乱しません? どういう表情すればいいのか、よくわかんなくなるパターン。おまけに今までの会話のなかで何か「失礼」はなかったかなって、考えちゃいそうなパターン。
 言われた側からすれば「めんどくさい人、キター」かも。
 そう思われるのも正直めんどくさい。だから言わない。

 わたし自身は仕事以外では、ユニセックスのTシャツやジーンズを着てることが多いんです。まるっこい身体つきは着たいシルエットの邪魔になるからイヤで、苦しくない程度に胸をつぶして服を着る。
 でも、それは自分のなりたいイメージに合わないからであって、手術で乳腺を取ってしまいたいわけじゃないんです。50年ちかく付き合ってきた自分の身体は、ポンコツだけどいとおしい。

 男子っぽい服装や持ち物や遊びが好きなのはこどもの頃からで、当時から自覚がありました。そういう自分に違和感はなかったんです。
 だって、それがわたし。
 それがわたしの「普通」だから。

 

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 以前「こころの性はニュートラル」だと書きました。

 男性か女性かにカテゴライズされたくないだけじゃなくて、LGBTQのどれかにあてはまるかとかも、1周まわって今は考えてないんです。高校を卒業する頃は真剣に悩んだし、10年くらい前はめちゃめちゃ調べてたし、考えてたけれど、もういいなぁって。

 女に見られたいわけじゃないけど、男に見られたいわけでもないの。
 もうね、そんなの、わたしはどっちでもいいの。っていうのが、本音。
 きっとね、あなたもどっちでもいいでしょう? わたしが女だろうが男だろうが。
 わたしは、わたし。

 

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 先日、こんな言葉を見つけたんです。

普通の反対は、異常じゃない。
また別の普通だ。
(出典:YouTube Channel Panasonic - Official #ThinkYourNormal

 

 この言葉にはっとしました。
 いつからか「普通」という言葉を避けていた自分に気づいたんです。

「普通」と言葉で限定することで、普通カテゴリと、普通じゃないカテゴリの存在を提示してしまう気がして、怖かったのかもしれません。カテゴリ分けは、仲間探しにはいいのだけれど、思いもよらぬ分断を生み出してしまう危険性があるから。

 

「また別の普通だ。」
 そう考えたら、怖くない。
 わたしにとっての「普通」と誰かにとっての「普通」がちがうだけだから。彩りのちがう「普通」が、そこらじゅうにあるだけだから。

 

 ちょうどしっくりくる素敵な言葉を見つけたからって、それで世界が変わるわけじゃない。
 でも、言葉が考えかたを規定して、考えかたが行動を変えて、行動が人生を変えていくとしたら。
 少なくとも、今のわたしから見える世界は、ちょっとだけやさしくなっている。そう思うのだ。

 



ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!