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三池監督作品「殺し屋1」感想 Killer7との関連性(Killer7の重大なネタバレあり)

バイオレンス映画の代名詞、三池崇史監督のヤバイ映画「殺し屋1」を見た。

イチは普段はパッとしない、堅気の仕事もロクすっぽできない、すぐに泣く、気弱そうな青年だが、ひとたび暗殺コロシの仕事となると泣きながらヤクザ軍団を踵落としで惨殺!一瞬にして血の池地獄に変える。

新宿ヤクザの若頭、垣原が親分をった犯人を情報収集アシ拷問オドシで探し回るという形式で進む。当然殺したのはイチを始めとする殺し屋を指揮するジジイのはぐれ者集団で、ヤクザさんチームと殺し屋さんチームがぶつかり合うのだ。この垣原がアクが強くて非常に良い。イチより感情移入し易くて、実質本作の主人公と言っても過言ではない。
役者さんは浅野忠信だ。

表向き組長を殺した犯人を突き止めてケジメをつけるスタンスを取っているが、その実、自分をとことん追い込んで絶望のドンドコに叩き落した上で殺してくれる奴を探していた。組長を初め、構成員を次々に殺戮していくイチを「自分の世界観を押し付けて一切良心の呵責なく暴力を振るえる最高の変態」と評価し、理想的な人生の終焉を演出するべく恋人を探し求めるかのように追い求める。

物語のラストのヤクザマンションの屋上に追い詰められ、イチと垣原が対決するシーンが特にお気に入り。今までは新宿ジュクの夜の繁華街や、路地裏といういかにも黒社会といった陰鬱な情景だったが、一転、ビル風が吹く青空の中の追いかけっこが始まり、満面の笑みで逃げ惑う垣原と泣きべそかきながらそれを追うイチの対比。このコマだけ切り出すと、子供がふざけ合ってるか、恋人が追いかけっこしてるような爽やかさで、とてもバイオレンス映画のようには見えない。そこから、イチの覚醒イベントがあり、垣原はマンションから突き落とされ死亡する。
「やべえ!なんだこれ!」
死ぬその寸前まで絶望感を愉しみながら生を全うした垣原の顔は満足げだった・・・。

三池映画版と原作漫画では話の流れや設定が違うが、今回は映画版について言及したい。タイトルでも書いたがKiller7との関連性についてだ。
Killer7やNO MORE HEROSが代表作の須田剛一51氏がコテコテの三池ファンであることは有名だが、このKiller7は劇場版 殺し屋1にインスパイアされて作られたのではないだろうか?

Killer7では主人格のハーマン・スミスの忠実な手先としてガルシアン・スミスが従っていたが、実はガルシアンが本体で、多重人格に操られていただけだった。他の人格の回収に向かう時にガルシアンがやられてしまうとなぜかGAME OVERになったりするのを、ゲームルールだからと割り切っていたが、そういう裏があったのかと驚かされた。
ガルシアンは幼少期からシリアルキラーで、両親を殺害した時に逮捕された。そして、殺しの腕を買われ、米国政府のヒットマンとして暗躍していた。この時、政治闘争で敵対勢力についていたスミス同盟を抹殺し、その特異な能力を吸収して新生スミス同盟となった。
その時、取り込んだ両親の人格に責められたのか、米国政府の洗脳か、はたまたハーマンの人格に主導権を奪われたのか、ガルシアンの精神は崩壊、幼児退行し首輪のついた犬の様に忠実な暗殺者となった。

イチの場合は、両親を殺した後、経緯は不明だがジジイに拾われてマインドコントロールにより、殺人の嫌悪感を持ちながらも、イジメられていた過去の記憶を刺激される事をトリガーとして殺人衝動を爆発させる暗殺者となった。これは筆者の感想だが、ジジイはイチを便利な殺人マシーンとして利用していた訳ではない気がする。暗示という武器がある以上、単純にヤクザ組織をるならもっと楽な方法があったはずだ。ジジイはイチだけでなく、井上や龍、カレンちゃんも洗脳していたが、どうかすると、垣原や金子すらもジジイに操られている可能性がある(垣原の狂暴性と矛盾するマゾヒストさ、金子の拳銃紛失など)。最強の暗殺者を作るための舞台として今の新宿ジュクを作り出したのではないだろうか?
そして、暗示により兄だと刷り込まれた金子を殺した事で良心と殺人衝動の葛藤が最高潮に達し、精神崩壊を起こしてしまった。これで完全にイチは手懐けられたかに見えた。しかし、親の仇のイチをドツいていた金子少年を断頭して殺害、逆に暗示よりも強い、心の奥底の人格を呼び起こしてしまった。

目覚めたイチはもう殺しをためらわない、そして泣かない。思考と意志が完全に合致し最適な方法で相手を殺せる。事実、垣原とジジイは自殺に見せかけて殺すことに成功している(少なくとも明確に犯人が特定できない方法で殺してる)。
首をくくったジジイの死体を一瞥し街に消えていったイチの表情は虚無、死の化身そのものだった。

一方のKiller7ではガルシアンは、最後のミッションで自分の正体に気づいてスミス同盟と決別する。真の正体に気づいているかは分からないが、ガルシアンは三つ目の眼を持つ新人類ニュータイプであることが暗に示唆されており(ハンサムマンを顕現していた美女も同じくニュータイプらしい)、ハーマンやクン・ランを脅かす程の力を持つため恐れられていた。

劇場版殺し屋1での、ジジイ個人の目的のために人を駒のように使っていたが、爆弾入りの駒を誤って爆発させてしまった(そもそも初めから無茶だよね)というプロットが、Killer7でのストーリに反映されている気がする。タイトルまんまパクリだしインスパイアされてるし。
ハーマンとクン・ランは秩序と混沌の象徴で、予定調和としての闘争で国家を構成している。しかし、国家というチェス盤をぶっ飛ばす、というかルールどころかプレイヤーすら超える駒が覚醒したガルシアンなのである。
一網打尽に壊滅させられたスミス同盟から決別したガルシアンは、戦艦島(軍艦島?)にクン・ランを追い詰め、始末した。そのはずだったが、世界のどこかでは再びハーマンとクン・ランが戦いを繰り広げていた。これが人類の歴史なのだと言わんばかりに終わらない舞踏会エンドレスワルツは続く・・・。
だが、ニュータイプは着実に増えていっており、いつの日か国家というゲームが終わる日が必ず来るだろう。

イチは人形と人形使いを抹殺して人形劇から脱出した。今後は自分のために暴力を使うかもしれないし、息を潜めて静かに暮らすかもしれない。が、たぶん生来の殺人衝動を抑えられないだろうから、危険極まりない殺人機械が野に放たれたことになる。
ひょっとしたら、自分をこんな人間にした世界や人々に手当たり次第に復讐を始めるかもしれない。漫画版では新宿にクソ溜めの様にかき集められた欲望の毒気に当てられて(つまり多くの人間が補強する強い世界観にイチの殺人衝動の世界観が負けた)、すっかり牙を無くしたという結末だったが、映画版の方はそれとは真逆に思えた。生命力の象徴ともいうべき欲望に相対する死の旋風。審判の日来たれり。イチなら新宿ジュクというソドムの街を黙示録に塗りこめることも可能かもしれない・・・。

けっこうグロいから誰にでも進められるわけじゃないけど、ぜひ見てみて欲しい。愛と殺しの青春映画、「殺し屋1」の感想でした。
これも絶版でハードもゲームキューブ・PS2なんで遊べる環境がないかもしれんが、けれんみあふれる世界観とセリフ回しのKiller7もよろしくね!




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