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映画「帰ってきたヒトラー」がここ最近で一番面白かった

ナチス式敬礼(右手上げるやつね)するだけで逮捕される現代ドイツで、ヒトラーの恰好したおっさんが無双するヤバイ映画。こんなにそっくりな人よく見つけてきたな。話し方とか演出がかなり似てるんじゃないかな?あのネットミームで有名なシーンも劇中でパロってあるぞ!?

以下、ネタバレ。見てない人は今すぐ見よう。

時は現代ベルリン。地下壕で一人拳銃自殺を図ったはずのヒトラーが時を超え、21世紀に蘇った。初めは連合軍の凝った情報戦と思ったが、新聞を見ることでどういうわけか2010年台にタイムトラベルしてきたことを知る。

ベルリンの変貌ぶりに驚き、科学技術の発達に驚き、ドイツに住む人々とそれを取り巻く環境の変化に驚き、そして、戦争は遠い昔に終わり平和な時代になったことを喜んだ。


しかし、戦争は終わったが、闘争は終わっていなかった・・・。失業率の高止まり、出生率は過去最低、難民の流入、それによる治安の悪化と人権問題。凪を迎えたに見えた湖の底では、抑圧された人々の不満がおりの様に溜まっていたのだ。現世に舞い降りた我らが総統閣下は世直しの旅に出る。
そう、コメディアンとして!


TV局をクビになったディレクターが、ヒトラーと人々の交流を撮るというコメディドキュメンタリーの形で進む。主観視点を通して彼らのやり取りを見る。人々の不満を、彼は聞く。やれ「賃金が低い」とか、「外人が入ってきて仕事が盗られる」とか「政治が悪い」とかそんなやつだ。我々日本人でも時折、胸に去来する聞き慣れた問題だ。
それに対して総統閣下は、

「それについては考えている」「全て任せておけ」

と、とても頼りになる言葉をかけてくれるのだ!優れた指導者というのはこうも安心感を与えてくれるものなのか。

また彼は、リーダーシップだけでなく、お茶目な一面も持ち合わせている。彼はまだ現代に慣れていない。TVの薄さに驚き、人々が謎の板(スマホ)を使っているのに驚き、豊かな食生活に驚いている。まるで無邪気な子供の様に。小粋なジョークも合わさり、思わず腹を抱えて笑ってしまうことだろう。

我々の不満を代弁し、親しみやすい性格で、さらにユーモアのセンスも抜群な彼をカメラを通して見ていると、視聴者の皆さんも親近感が沸き、少々問題が起こっても、彼に肩入れしていくことだろう。
劇中のドイツ国民と同様に彼に夢中になるかもしれない。


しかし、物語は後半から急転する。ユダヤの血を引く恋人の家に行ったとき、高齢の母親の口から発せられる言葉に冷水を浴びせられたことだろう。認知症を患って、いつもボーっとしてるお婆さんが言うのだ。

「初めはみんな笑ってたんだよ」「私は忘れないよ」


この映画には現代ドイツの社会問題がつまっている。そしてそれはどこの先進国でも起こっていることだ。格差社会、民族の対立。日本も他人事では無い。第二次大戦が枢軸国側の大敗で終わり、ナショナリズムの時代は終わった。その後、資本主義vs共産主義のイデオロギーの対立が終わり、現在では宗教対立、国境をめぐる紛争といった戦いが主だっており、再びナショナリズムの対立の時代を迎えた。おまけに、利権や大国の覇権をめぐる思惑が合わさり、複雑怪奇になってるときたもんだ。火種はそこかしこにある。

個人の関係においても例外ではない。資本主義が普遍化し、効率化が進んだ現代。いや、効率化を強いられている現代。人間性はおざなりにされ、近しい人間との互助が破壊されつつある現代。人々は孤独に喘いでいた。
このコロナ禍でも痛感したが、人間は群れねば生きていけない生物なのだ。孤独はつまり死を意味する。人々は群れたいのだ。群れねばいけないのだ。より強い群れに入りたいのだ。強い群れに居て他を見下し、優越したいのだ。

人々は熱狂したいのだ。

争いの火種があるところ、ヒトラーもまた心の内にいるのかもしれない。


決して肩ひじを張って見るような政治活劇では無く、家族でも見られるような?良質なエンターティメント作品だが、そんな事を考えさせられた映画だった。

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