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連載日本史255 占領期の文化

敗戦直後の占領期には米国文化が一気に流入した。子供たちは進駐軍の兵士にチョコレートやキャンディーをねだり、進駐軍向けの売店であるPX(Post Exchange)には魅力的な商品があふれ、米国映画が大人気を博した。「鬼畜米英」と竹槍を突き出していた戦時中とは大違いである。英会話が流行し、街には英語の標識が建てられた。ラジオでは娯楽番組やスポーツ中継が人気となり、「リンゴの唄」が大ヒットし、人々に希望を与えた。敗戦は日本に深い傷跡を残したが、戦時中の重苦しい抑圧から解放された人々の雰囲気は明るく、復興への活力がみなぎりつつあった。

戦後の銀座通りの露店(www.ginza.jpより)

日本社会の民主化・自由化によって、学問や文学やジャーナリズムも息を吹き返した。物理学では、1949年に湯川秀樹が素粒子の中間子論の研究で日本人初のノーベル賞を受賞した。政治学では、丸山真男が戦後民主主義のオピニオンリーダーとして一時代を築いた。文学では、「斜陽」「人間失格」などの名作を生み出した太宰治や「堕落論」を著した坂口安吾などの無頼派、自身の戦争体験に基づいて「野火」や「俘虜記」などの作品を残した大岡昇平や梅崎春生らの戦争文学、映画化されて主題歌も大ヒットした青春小説「青い山脈」の石坂洋次郎、幅広い評論で活躍した加藤周一、独自の文学的境地を切り拓き海外からも高く評価された三島由紀夫や安部公房など、多彩な作家たちが活躍した。ジャーナリズムの世界でも、GHQの検閲はあったものの、多くの新聞や雑誌が復刊・創刊を遂げ、言論界は活況を呈した。

丸山眞男(asahi.comより)

映画の世界では、黒澤明監督の「羅生門」が1951年にベネチア国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界中で高い評価を得て、外国の映画にも大きな影響を与えた。一方、小津安二郎は市井の人々を主人公に独特の映像世界を作り上げ、彼の作品もまた国際的に高い評価を受けた。歌謡曲の世界では笠置シズ子が「東京ブギウギ」で派手なパフォーマンスを披露し、美空ひばりが12才で天才少女歌手としてデビューして戦後の芸能界を彩った。スポーツでは水泳の古橋広野進が国際大会で活躍し、「フジヤマのトビウオ」の異名をとった。プロ野球で「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治、日本人初のボクシングフライ級世界チャンピオンの白井義男らも、戦後の子供たちのヒーローとなった。

「東京ブギウギ」(コロムビアレコード)

1945年、ソニーの前身となった東京通信研究所でラジオの修理・改造を始めた井深大は1950年に国産第一号のテープレコーダーを開発し、その後、トランジスタラジオを世界中に普及させた。本田宗一郎は1946年に本田技術研究所を設立し、オートバイの開発で「世界のホンダ」への道を踏み出した。吉田秀雄は1947年に日本電気通信社(のちの電通)の社長となり、広告収入だけで運営する民間ラジオ放送の創設に挑んだ。こうした先駆者が次々と現れたのも、戦後の開放的な空気あってのことだろう。敗戦後の焼け跡には、確かに希望が息づいていたのだ。

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