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Japanese Dreaming

錆びついた鉄の橋桁が 
丘の向こうに突き刺さっている
もう動かないモノレール 
朽ち果てるまま時を刻んでる

見捨てられた遊園地では 
回転木馬が涙流してる
子供たちが減り続ける町で 
中古車だけが増え続けてくよ

食べてくだけで精一杯の時代 
人は夢見た 豊かな暮らしを
飽食の時代 溜め込み過ぎたものの
重さでこの島は沈もうとしてる

流されながら 抗いながら 
僕らは今 どこへ向かってるの?
漂いながら さまよいながら 
君は今 何を望んでるの?
So make your dreaming, 
Japanese dreaming

何かが足りない 何かが余計だ 
何かが違う 何かがズレている
最新モードのディスプレイの中で 
グローバルな欲望が手招きしているよ

生きてくだけで精一杯の時代 
人は夢見た 明るい未来を
享楽の時代 詰め込み過ぎたものの 
重さでこの国は沈もうとしてる

ためらいながら つまずきながら 
僕らは今 どこを歩いてるの?
とまどいながら つぶやきながら 
君は今 何を求めてるの?
So make your dreaming, 
Japanese dreaming

食べてくことさえままならない場所で 
夢見る人々に思いを馳せながら
生きてく意味さえつかみきれないけど 
僕らは今ここで変わろうとしてる

So make your dreaming  
この国が今 どこへ向かおうとも
So make your dreaming  
この島が今 どこへ沈もうとも
ぶつかりながら 乗り越えながら 
この道が今 どこへ続こうとも
寄り添いながら 踏み出しながら 
この声が今 どこへ消えようとも
So make your dreaming, 
Japanese dreaming

*僕が住んでいた横浜市には、かつてドリームランドという遊園地がありました。スケートリンクやボウリング場も併設されており、子供たちが小さかった頃には、家族でちょくちょく遊びに行ったものです。客は少なく、いつもすいていて、ちょっとさびれた場末の遊園地的な風情があって気に入っていたのですが、2002年に閉園してしまいました。

ドリームランドがオープンしたのは1964年、東京オリンピックの年、高度経済成長の時代です。名前の通り、夢の遊園地として多くの来場者を集めるはずだったドリームランドは、最寄りのJR(当時は国鉄)大船駅からのアクセスルートとして、5.3kmに及ぶモノレールを建設しました。しかし、設計上のミスで橋桁に亀裂が入り、安全面に問題があるということでモノレールはわずか一年半で休止に追い込まれます。他の交通手段として路線バスもあったのですが、頻繁に渋滞が発生するため、次第に客足が遠のいたそうです。一方、ドリームランド付近に建設された巨大なニュータウンであるドリームハイツも、住民の通勤手段としてモノレールを当てにしていたため、休止中のモノレールは廃業するわけにもいかず、いつか復活することを夢見て、橋桁は撤去されず、36年もの間、そのまま放置されてきたのです。

2002年にドリームランドが閉園した後もモノレールの橋桁はしばらくの間、そのまま残っていました。雨ざらしのまま、錆び付いて朽ち果てていく橋桁は、まるで高度経済成長時代の夢の残骸のようで、なまじ「ドリーム」という名前がついていただけに、余計にもの悲しく感じたものです。 その橋桁も現在はすっかり撤去されてしまいました。けれどもその残像が、いわば「ジャパニーズ・ドリーム」の象徴として、今でも僕の脳裏に焼きついているのです。

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