連載中国史28 唐(5)
玄宗の時代、八世紀半ばの盛唐期に、唐の文化は黄金期を迎えた。特に際立った輝きを見せたのは唐詩の世界である。「詩仙」と称された李白は酒を愛し、各地を漫遊しながら自由奔放な作風の詩を数多く残した。「詩聖」と呼ばれた杜甫は、安史の乱に巻き込まれて苦難の漂泊生活を送りながら、戦争の惨禍や農民の貧窮など社会の矛盾にも向き合った思索的で憂愁に富んだ作品を残している。八世紀末から九世紀前半の中唐期にも、「長恨歌」「白氏文集」を生んだ白居易(白楽天)や、古文復興運動に携わった韓愈・柳宗元など、後世に大きな影響を与えた詩文家が続々と出現した。
唐代に才能あふれる詩人たちが次々と生まれたのは、科挙の試験科目に詩作が必須科目として入っていたことが大いに関係していると思われる。中国各地から集まる選りすぐりの俊才たちが、国の中枢を担う高級官僚を目指して競い合う官吏登用試験。その難関を突破するためには、詩作の錬成は必要不可欠だったのだ。受験科目に入るか否かで人の集まる分野が左右されるのは昔も今も変わらない。
官僚社会は文書社会でもある。詩作同様、書の世界にも才能が集まった。初唐の欧陽詢、盛唐の顔真卿といった著名な書家たちは、いずれも有能な官僚や軍人としても顔も持っていた。学門の分野では、科挙の国定教科書として孔穎達が「五経正義」を編纂している。世界初の検定教科書と呼んでもいいかもしれない。
国際都市の長安には諸国から多様な人々が集まり、活況を呈した。唐代の代表的な陶器である唐三彩の作品群にはラクダに乗った胡人(外国人)のような異国情緒にあふれた作品も多い。日本からも遣唐使の一員として渡航し、異国の地で生涯を終えた阿倍仲麻呂や井真成などの人々がいる。宗教では、従来からの仏教や道教に加えて祅教(ゾロアスター教)や摩尼(マニ)教、景教(ネストリウス派キリスト教)なども伝来し、七世紀末には既に回教(イスラム教)も伝わっている。
唐の文化は外に向かって開かれたものが多く、開放的なエネルギーに満ちあふれている。日本の東大寺正倉院にも残る唐から渡来した文物の数々にも、当時のグローバルな空気が見てとれる。西方のヨーロッパ世界、イスラム世界も含めた異文化を広く受容する懐の深さと風通しの良さが、唐代の文化の身上であったと言えるだろう。
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