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連載日本史53 摂関政治(5)

ここで摂関政治期の近隣諸国の情勢に目を転じてみよう。 894年の遣唐使廃止から間もない907年、唐帝国が滅亡する。その後、中国では五代十国の分裂状態が50年あまり続いた。やがて五代最後の王朝である後周から出た趙匡胤が960年に宋を建国し、979年に中国を再統一する。宋(北宋)は開封を都とし、農業や商工業、さらに貨幣経済を急速に発展させ、経済国家として急成長を遂げる。日本は宋とは正式な国交を持たなかったが、博多に来航する宋商人との間の交易が活発に行われ、日本からも成尋らの僧が商人の船に便乗して大陸に渡った。

11世紀の東アジア(「世界の歴史まっぷ」より)

朝鮮では、918年に王建が建国した高麗が新羅を滅ぼし、936年に朝鮮半島を統一した。高麗は開城に都を置き、400年以上にわたる長期王朝となる。中国東北部では、916年に興った遼(契丹)が926年に渤海を滅ぼし、勢力を伸ばしていた。

年中行事絵巻 朝観行幸(国立国会図書館デジタルコレクションより)

おしなべて十世紀から十一世紀にかけての東アジアは、王朝の交代とそれに伴う内政整備の時代にあたり、日本政府にとっては、さほど外交問題に頭を悩ませずともすんだ幸運な時代でもあった。対外的な緊張が緩むと、国内でのイベントが増える。摂関政治期には宮廷での年中行事や儀式が発達した。元日節会に始まって、端午・重陽などの節句、四方拝・祈年祭・新嘗祭などの神事、灌仏会・盂蘭盆会などの仏事、官位の任命式である除目(じもく)、賭弓・相撲節などの武芸行事、闘鶏・七夕・観月宴などの遊興行事、祇園祭や賀茂祭などの祭事、年末の追儺・大祓などなど、毎週のようにイベントやセレモニーが組まれている。

今も続く祇園祭(京都観光Naviより)

日本人の行事好き、イベント好きの性向は、摂関政治期に培われたものなのかもしれない。現代でも、初詣・節分・バレンタイン・ひな祭り・お彼岸・卒業式・入学式・入社式・こどもの日・七夕・盆踊り・夏祭り・秋祭り・運動会・文化祭・ハロウィン・七五三・クリスマスなどなど、これだけ年がら年中イベントをやっている国は珍しいだろう。外来のものに独自のアレンジを加えて取り込んでしまうのも、古来から見られる傾向である。特に摂関政治期には、対外的な緊張緩和を背景として、前代までに吸収した大陸文化を独自に消化・発酵させた国風文化が、飛躍的な発展を遂げることになるのである。




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