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オリエント・中東史⑩ ~プトレマイオス朝エジプト~

アレクサンドロス帝国の解体後に鼎立したヘレニズム三国の中で最も繁栄したのがプトレマイオス朝エジプトである。アレクサンドロス大王の有力な後継者(ディアドコイ)のひとりであったプトレマイオス1世によって建国され、首都アレクサンドリアはヘレニズム文化の中心地となった。アレクサンドリアには自然科学から人文科学まで幅広い分野にわたる総合研究センターのムセイオンが設立され、大図書館(ビブリオテケ)も併設された。幾何学の大成者エウクレイデス(ユークリッド)、梃子や浮力の原理を発見したアルキメデス、2地点における日射角度の差を利用して地球の外周をほぼ正確に測定したエラトステネスなど、錚々たる学者たちがムセイオンに集った。

プトレマイオス朝の版図はキプロス島を含み、その影響力は東地中海全体に及んだ。アレクサンドリア近郊で発見されたロゼッタ・ストーンには、神聖文字(ヒエログリフ)・民用文字(デモティック)・ギリシア文字が併記されており、エジプト文化とギリシア文化の融合というヘレニズム文化の特徴を体現していると言える。

紀元前1世紀に入ると、プトレマイオス朝は王室の内紛や奢移による財政難によって傾き始める。一方、地中海全域への支配を広げようとするローマはエジプトの豊かな穀物生産力を狙い、王室への巨額の貸付によって影響力を強めていく。紀元前47年、ローマの支配権を握りつつあったカエサル(シーザー)と手を組んで反対派を一掃したプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラは、カエサル暗殺後の後継者争いの中でアントニウスと結んだが、前31年のアクティウムの海戦でオクタヴィアヌスの軍に敗れ、翌年、毒蛇に胸を咬ませて自殺した。ここに300年にわたってヘレニズム文化の中心として繁栄したプトレマイオス朝エジプトは滅び、エジプトはローマの支配に服することとなったのである。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら世界の歴史は変わっていただろう」という有名なパスカルの言葉がある。確かに彼女はその美貌でカエサルやアントニウスを魅了し、オリエントの歴史を華やかに彩った。彼女が本当に絶世の美女であったのかどうかはわからない。しかし、傾いてゆくプトレマイオス朝を何とか立て直したいと願った彼女が、語学の習得から哲学や政治学、外交術に至るまで、人並外れた勉強量をこなし、その上で日々の食事や運動にも心を砕いて自らの若さと美貌を保ったのは確からしい。それは最後の女王としての、涙ぐましい努力と祖国愛の賜物であったろう。

芥川龍之介は「侏儒の言葉」の中で、「クレオパトラの鼻」に触れて、次のように述べている。

「クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、世界の歴史はそのために一変していたかも知れないとは名高いパスカルの警句である。しかし恋人というものは滅多に実相を見るものではない。いや、我々の自己欺瞞は一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである。
 アントニイもそういう例に洩れず、クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、努めてそれを見まいとしたであろう。又見ずにはいられない場合もその短所を補うべき何か他の長所を探したであろう。(中略)
 しかしこういう自己欺瞞は民心を知りたがる政治家にも、敵状を知りたがる軍人にも、或はまた財況を知りたがる実業家にも同じようにきっと起るのである。(中略)すると我々の自己欺瞞は世界の歴史を左右すべき最も永久な力かも知れない。つまり二千余年の歴史は眇たる一クレオパトラの鼻の如何に依ったのではない。寧ろ地上に遍満した我々の愚昧に依ったのである。哂うべき、――しかし壮厳な我々の愚昧に依ったのである。」

カエサルもアントニイも、クレオパトラが絶世の美女だったから惚れたのではない、惚れたから絶世の美女に見えたのだ、という指摘は卓見である。そしてまた、見たいものしか目に入らない、という我々の自己欺瞞こそが、世界の歴史を左右すべき最も永久的な力かも知れない、というのも恐るべき卓見ではないかと思うのである。

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