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礼拝証メッセージ

 先日、母教会の板橋泉教会で証メッセージをしてきました。是非お時間あるときに見てみてください。
 30歳でイエス様を信じる前の薬物依存後遺症のことからお話ししています。

メッセージ要旨「イエス様に愛されて」詩篇103編1~5節

※本日、証メッセージに導かれてイエス様との体験談を語らせていただきました。世界では悲しみと恐れに包まれてしまう状況もありますが、神様がいつも共にいてくださることを覚えて、世界の人々のためにいつも祈れる信仰が私たちの上にありますように。

 皆さんは今、人生のどのようなところにいますか。良い状況におられますか。それとも苦しいですか。前に向かっていますか。痛みを抱えていますか。もしかしたらどうすることもできない状況にぶち当たっている人もいるかもしれません。
 皆年代も違えば、環境も違うし、本当にそれぞれだと思います。それではそれぞれの生活の中でなにを信じて生きていますか。明確なものはありますか。
 実は私も30歳まで、本当に信じられるものって無かったんです。まるで彷徨い歩く羊のように、意志もなく、目的もなく、暗闇からいつか、きらびやかな世界に抜け出せるものだと思って生きていました。
 中学3年の頃に出会った薬物が、その後の人生に大きな影響を与えました。タバコは小6の頃に初めて吸いました。お酒は中1から飲むようになりました。だから中学3年の頃に薬物に出会ったのも自然だったんです。そして18歳くらいの時には自分がおかしくなり始めました。幻聴と幻覚が始まりました。施設も出たり入ったりしました。12年間は薬物依存の後遺症で苦しみました。

 だけど私は今、福音を語っています。イエス様の良い知らせです。
 私は3度目の精神病院のベッドの上で聖書の哀歌3章20~22節に出会いました。病院に送られて、異常な言動を繰り返して、しばらくして落ち着いてくると、まるで副作用のように襲ってくる感情は、恥と情けなさと、恐れでした。これはそんな時に出会った聖書の言葉でした。
「身のすくむような恐ろしい年月を忘れようにも忘れられません。
私のたましいは恥の中に沈んだままです。しかし、ただ一つ望みが残っています。
神様のあわれみは決してすたれない、ということです。
私たちが全滅しなかったのは、神様のあわれみのおかげです。」

 その時、「私はもう一度やり直せる!神様があわれんでくださる。恥から立ち上がれる!俺は滅びるものではない!」絶対に良くなるって確信しました。
 私はもう一度、イエス様の十字架の死と復活を信じて、新しく立ち直りました。

 父なる神様は、御子イエス・キリストを十字架につけて、私たちの罪の身代わりになることを御心とされました。(イザヤ書53章10節、ヨハネ3章16節)
 私たちは、イエス様の十字架によって、神様との和解が与えられ、永遠に至る命を受けることができたのです。
 イエス様があなたを導いてくださいます。イエス様の十字架によって、死は打ち砕かれて、あなたに平安を与えてくださいます。良き祝福がありますように。

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