見出し画像

わたしの先生


手紙① ぼくの日

いつもありがとうございます。

わたしは、これまで何通も先生にお手紙してきました。書き出しは、いつも、「いつもありがとうございます」でした。正直なきもちでした。先生は、お気づきでしたでしょうか。

そして先生も、いつもにこやかに、「いつもありがとう。読んでいます」と受け取ってくださいました。どれほど嬉しかったか。

さて、わたしは、自分が初めて先生にお贈りした拙歌を憶えています。

「晴れた今日 誕生日でもないけれど 世界がきれいだから ぼくの日」

先生が、「十月十五日は『ぼくの日』なんです。晴れて世界がきれいと思えたから、『ぼくの日』と決めたんです」と話してくださり、感動し、そのエピソードを歌にしただけですが、先生も喜んでくださいましたね。

ある年は、「今年も十月十五日がやってきました」、また別の年は、「今年の『ぼくの日』は、あいにく雨でした」と、教壇からひょっこり降りてきて、茶目っ気たっぷりな笑顔で話しかけてくださいました。

「世界がきれい」でいうと、先生が、確か、比叡山のお坊さんから聴いたという、「今日はやけに世界がきれいだと感じ、不思議に思っていたら、自分は僧だから、すぐには気づかなかったが、その日はクリスマスで、そうか、多くの人が祈っているのだと思った」というエピソードも好きです。

これは、『自己認識への一つの道』で読んだ、「愛による認識」と思います。

今日も、世界はきれいです。美しいです。

以前、お話をさせていただいたでしょうか?「愛は美を見顕す、美は生命を賦活する」と、卒論で書いた話。

また、お手紙させてください。

手紙② わたしのお月さま

「波立つ光の海」、先生から何度も聴いたマントラです。

この瞑想をしていたとき、密教瞑想の「心月輪」のイメージと重なったことがありました。心月輪とは、胸の真ん中に光り輝く月、仏性の象徴です。内なる月の熾す満干により、光の海が波立つのを観じました。

月について、先生は、「太陽の門、月の門」の講義の際、成東に疎開していたときの話をしてくださいました。ある星月夜、「星は自ら光るだけだけれど、月は辺りを明るく照らしていると感じた」という話です。

また、「月から、『そうだよ、それでいいんだよ』と話しかけられた気がした」という話も好きです。アンデルセンの『絵のない絵本』が思い起こされました。

質疑応答では、わたしは、「幼少期、自分は『かぐや姫』と思い込み、『早く月へ帰りたい』と思っていた」という話に加え、「先生は、月へ帰りたいと思ったことはありますか」という質問をして後悔しました。

でも、先生は「月へ帰りたいと思ったことはありませんが」と前置きした上で、「郷愁や憧憬があることは素敵ですね」と仰ってくださいました。先生の「はるかな国、遠いむかし」「想い出の予感」「未来の記憶」という言葉とも結びついています。

ある方は、「かぐや姫のあなたは、お月さまの先生へ帰るのね」と声をかけてくれました。国際会議の神秘劇で、先生が演じられたのは、月だったそうですね。

その頃から、いまも、光波立つ海、心のなかの月、辺りを照らし、慰め、見守る月は、わたしのなかで、先生と分かちがたく一つです。内在し、臨在し、もはや遍在する「お月さま」を感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?