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はやく月へかえりたい

真夜中にふと目が覚め、窓を開けると、ひんやりとした夜風と伴に、白銀の月の光が射しこんだ。
穹窿のてっぺんの円い月。

月は、なにも言わない。
けれども、あたりを円やかに照らしている。
なにかはわからないけれど、なにかを語りかけてくれているのだ、と思う。

高揚し、鎮静し、また眠る。

月は、みずから光らない。
けれども、夜を、世を、余を照らす。
月は、光の経由地だ。

わたしは、月へ、かえるのだ。



東の空に昇りくる月。
その月が、大きく眩さを増して、こちらへと迫ってくる。
その圧倒的な光にのまれた、と思った瞬間、目が覚めた。
そして、ふと思った。
「はやく月へかえりたい」。
居たたまれないような、泣きそうな気もちになった。
じぶんの思いが、不可思議だった。

まばたきのひととき、わたしのなかの光が、光をみていた。
なにもない、すべてある、光。
わたしも、その光になっていた。



明け方、いまにも地平線へ沈もうとする月を観た。
ふいに、宙に浮くような、ちがう天体に来たかのような感覚を覚えた。
「ほんとうのおとうさんとおかあさんは、別にいる」
という思いが過ぎり、じぶんの思いと気づきに、動揺し、うろたえた。

しかし、さらに続けて思い出したのだった。
「月から降りてきたのは、月を観てみたかったから」。

後々、絵本で読んだ『かぐや姫』の物語は、わたしのための物語と思った。
もちろん、これらのことは、父にも母にも、だれにも話したことはない。



夕涼みに散歩へ出たら、上弦の月が見えた。
「おつきさまだね」
と、かたわらに声をかけると、キョトンとしている。
おなじ目線にしゃがむと、建物の屋根で見えなかった。
手をつないだまま後ずさると、「あ!」という声が上がった。

半円の月を見て、わが子は訊いた。
「おつきさま、はんぶん、どこいちゃったの」。

「どこへいっちゃったんだろうね」
と、こたえたけれど、隣では、わたしの声をさえぎるように、
「おつきさま、ついてくる!」と、はしゃいでいるひと、ひとり。

そう、どこまでもついてきて、いつでも見守っていてくれる。

わたしが月から来たことは、子にも夫にも、伝えていない。
はやく月へかえりたい思いは、いまだに、ずっと、つよく、ある。
でも、秘めている。

ここに居る理由は、たった一つ。
けれども、そのたった一つが、たった一つであるゆえに、わたしはいまここに居る。



かぐや姫は、罪をおかしたために、月から降ろされたのだという。
また、月へかえるときには、地上の記憶をすべて失ったのだという。

わたしは、月に居たことも、ここから月を眺めたことも、忘れまい。
おそらくは、忘れることが罪で罰。

懐かしさは、みちゆきの、みちしるべ。

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