障害は、ギフトである、という明確な理由

前回の投稿で、私はADHDだ、というお話をしました。

【今の世の中に生きにくさを感じていた私が、今の世の中を生きぬくために取り組んできたこと】

で、こういうことを言うと、一部の方は、お気の毒に、という反応をされることもあります。

しかし私は、昔こそ苦労はしたものの、今では、この障害を、不幸だと思ってはいません。

いや、むしろ、この障害はギフトだとも思っています。

それは、別にきれい事としていっているのではありません。

極めて現実的な話なのです。

今日は、そのことについてお話しましょう。

繰り返しますが、私は、ADHDという発達障害傾向があります。

この手のタイプの人って、まあ、人の気持ちというものがわからないんですよね。

私も、その自覚あります。人の気持ち、いまだにわかりません。

そんな私が、今は、人の気持ちがわからないと勤まらないと言われている、セミナーや研修の講師や、コーチ、カウンセラーの仕事をしています。


なぜ、人の気持ちがわからないと勤まらないと思われている、これらの仕事を、人のと思れている、これらの仕事を、人の気持ちがわからない私が出来ているのか。

答えは、これらの仕事のゴールは、

 ★ 相手の気持ちがわかることではなく、関わる相手が変化成長すること

だからです。

もし、これらの仕事が、相手の気持ちがわかること、であれば、私は絶対に
この仕事は勤まらないでしょう。

でも、そうじゃないから、勤まるんです。


じゃあ、相手のことがわからなくて、どうやって相手を変化成長させるのか。


人が変化成長するためには、

「自分自身のことをよく知る」

という事が必要なんです。特に、

今の自分は、どういう状態なのか。
これから自分はどうなりたいのか。

これを、ハッキリさせていくことが必要なんですよね。

で、私は、それを受講生やクライアントに聞くわけです。

相手は、私が聞いたことに答えてくれます。

でも、その言っている言葉が、本当にその人の思っていることなのかどうか、私には、わからないんですよね。

だから、さらに聞くんです。

これはどういう意味ですか?

この言葉って、どのような意味で使っていますか?

って。

私は、人の気持ちがわからないという自覚があるから、相手の言葉を聞いて、わかったような気になんかならないんです。

なったとしても、それは勘違いかもしれないし、間違った解釈かもしれない
と思い直して、うかつにはわかったつもりになんか、ならないんですよね。


だから、とにかく、徹底的に聞きまくる。
あらゆる角度から、聞く。


すると、普通の人なら、これくらいでわかるだろ、っていう感じで、さらーっと流してしまうような、ひとつひとつの言葉を、語っている本人が、説明できなくなってくるんですよ。

割と早い段階で。


つまり、自分はそのあたりはもうわかっているつもりだった、ってことが、実はわかっていなかった、ってことが、わかり始めるんですね。


じゃあ、このあたり、ハッキリさせましょうか、っていう話になる。

幸い、子供の頃から本が好きで、好奇心は旺盛な方だから、語彙や視点は豊富に持っています。

ナノで、いろんな言葉を使い、いろんな角度から、こういうこと? ああいうこと? と、相手に言葉をぶつけていきながら、相手の思いや考えをハッキリさせていく。

だって、わからないんだから、聞くしかありませんから。


という事をやり続けていくうちに、今の相手がわからなければいけない
ことがわかってくる。


私は、相手の気持ちや考えがわからないけれど、相手自身は、わかってくる。


自分の思い通りに変化成長できない人って、自分のことがわかっていないから、変化成長できないんですね。

だから、こうやって、人の気持ちがわからない私が、それでもわかろうと
思いながら、問いかけ続けることで、私がわからなくても、相手が自分自身を理解することができる。

すると、その人に変化成長が起き始めるのです。

めでたしめでたし。私のお勤め完了です。


私の障害は、人の気持ちがわからないこと。

だからこそ、わかったような気にならず、わかろうとする。

安直に解ったような気にならず、関わり続けている間は、わかろうと
し続けて行く。

持って生まれた、この障害のおかげで、

 ★ 相手をわかろうとし続ける

という、人を変化成長させていくために必要な、考え方やあり方を手に入れることが出来たのです。


だから私は、言葉遊びとか、現実逃避とか、そういうことではなく、極めて現実的に

「この障害はギフトである」

と思っている訳であります。

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