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2020年は「重要だけど緊急ではないもの」と向き合う

あけましておめでとうございます。

今年は「重要だけど緊急ではないもの」に思考を巡らせようと思います。
昨年はどちらかというと「重要で緊急性の高いもの」と向き合っていて、そのタスクをこなす割合が高かった一年だった気がします。毎日タスクをこなす生活になると「やりたいこと(will)」が「やるべきこと(must)」に変化してしまい、「あ、これはまずい」なと。

さらにまずいのは、この「重要で緊急性の高いもの」をこなしていると、仕事をしている・できている気になってしまうということ。これは本当に良くない…

すでに、正解も道筋も、問いすらも自分で作る時代に突入していますが、となると効率良く仕事するとか、生産性を上げるというところはさほど重要ではなくなってくる気がしています。そのためにも「重要だけど緊急ではないもの」と向き合う時間を意図的に作れるかどうかが、とても大事になってきます。

ちょっと話が脱線しますが、「重要だけど緊急ではないもの」を考えているときって、側からはぼーっとしているように見えるんですね。答えがないことに向き合う・探すときならではの集中の仕方なのかもしれないと思ったのですが、ふと、子どもって結構な割合で「重要だけど緊急ではないもの」を考えているんじゃないかと。

大人になってからは時間軸がしっかりしてくるから、今日とか明日とかの感覚が明確だけど、特に就学前の子どもってそうではない。いろんな時間軸がミックスした状態で物事を考えている。

うちの子どもたちがぼーっとしているとき、「この子、人の話聞いてるのかしら」と注意することも多かったのですが、それってもしかしたら自分と向き合ってたり、集中してる時間だったのではと思ったら、これまで彼らの集中時間やクリエイティブを潰していたのかもしれない…と新年早々反省しました。ぼーっとしてそうなときは、あまり話しかけない、待つ。
これまで子供たちに対して難しいと思っていた「待つ」ができるような気がしてきました。

話を戻して、もうひとつ大事にしたいこと。
これまで、人が紡ぐ言葉を編集することを生業としてきましたが、今年は自分の考えを言語化する必要性も感じています。

実は昨夏に会社を立ち上げ、今年から本格的に自分の足で歩き出すわけですが、自分なりの場やチームを作るうえでは、なぜこれをしているのか、なぜここにいるのか、なぜこの人と一緒にやりたいのか、の前提の共有や言語化、そして説明力が問われる

今まで大事だなと思いつつ手をつけてこなかったことが、急に必要だなと思う2020年です。
かといって先々への不安とかはなく、どう変化していくかも含め、楽しみたい。

繁雑になってしまいましたが、皆さま本年もよろしくお願い致します。

良き年になりますように!

熱海の企業と首都圏人材を「複業」でつなぐサイトCIRCULATION LIFE(サーキュレーションライフ)を運営しています。こちらでも発信しつつ、noteでは地方×複業や二拠点ライフ、日々の仕事についてなど書いていきます。

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