鍵と鍵穴 〔エッセイ〕

 私は、鍵がたまらなく好きだ。あの形状、質感、そして、そっと鍵穴に差し込んでかちゃりと回す時のあの感触と音。できればバーネットの小説「秘密の花園」に出てくるような、古い洋館で使われる鍵が望ましい。持ち手の部分は丸く、鍵穴に差し込む部分にはいくつかの突起が付いているような、そんなアンティークの鍵である。

 しかし、これほどに鍵への憧れと執着を抱いているにも関わらず、そのような自分好みの鍵を手に入れる機会を持てないまま、長年ずるずると過ごしてきてしまった。
 実は最近、ある雑貨店でまさに私好みの鍵の数々が陳列されているのを発見したのだが、あの時はあまりの喜びと興奮に天にも昇る気持ちであった。本当ならば、その中でも一番の好みの品を入念に選びスキップをしながらレジへと向かうところだが、生憎私の財布にはそのような余裕はなく、泣く泣く断念した。私にとっては、こういったアンティークの鍵は高額なのである。
 憧れの鍵を持てない私に出来ることは、インターネットで好みの鍵を見かけた時はその画像をそっと保存することだ。たまにそれらの鍵を眺め、鍵穴の形にぽっかりと空いた心の穴をひとときの間満たすのだ。

 さて、それでは最後に、鍵を鍵穴に差し込んで回すという行為に私がどれほど憧れを抱いているのか、それを証明するエピソードを一つ紹介しよう。
 それはまだ物心がつくかつかないかくらいの歳のことだ。私の右手の親指の一部が、黒く焦げてしまった事件。

 ある日、私は家の中で一人で遊んでいた。右手には自転車の鍵を持っていた。どうやらその鍵が、その頃の私にはとても素敵な物に見えたのだろう。鍵を手にしていれば、鍵穴に差し込みたくなる。しかし当然、家の中には自転車はない。そもそも、その頃の私が自転車の鍵の開け方を知っていたかどうかも甚だ怪しい。そんな私の目に映ったのは、コンセントの穴。
 もう、お分かり頂けただろう。まだ無知だった私は、その穴を鍵穴に見立てて自転車の鍵を突っ込んだのだった。

 しかし、そんな目に遭っても尚、私は鍵への憧れを抱き続けた。それほどに、私にとって鍵という存在は燦然と輝く宝玉であり、また、未知なる素晴らしいであろう世界への入口なのである。

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