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木星土星がみずがめ座入りしたので、作品の新しい価値基準を探したい

2020年12月17日に土星が、12月19日に木星がやぎ座からみずがめ座に移動しました。
「12月21日に397年ぶりに木星と土星が大接近!」と話題になりまくっているので、今回は木星と土星をセットにした上で占星術的な概念をこねくりまわして、創作活動をしている人向けの記事にしてみようと思います。

ちなみに、みずがめ座生まれの人だけに向けた内容ではありません。創造性の海で暴れ回るためには、持って生まれた星回りを活用しつつも、どこかで超越していく必要があるので……。

木星と土星は引っくるめて「社会」というふうに読んでみるのがわかりやすいかな、と思います。他には「文明」とか「文化」とか読むのも好きです。あと「普通」「一般」も木星&土星の管轄ですね。
みずがめ座は平たくいうと「シェア」の星座です。もうちょっとくわしく書くと、「『これ、大事なのでは?』というものごとをいろんな人に手渡し、反応を観測することで、その価値をはかる」みたいな感じになります。

木星と土星がみずがめ座に入ったということは、創作分野においては「個々人の作品をどう社会に出して、他者に手渡していくか?」ということが問われる季節がやってきた、というふうに読むことができます。
ちなみに、木星は2021年の12月29日まで、土星は2023年の3月7日までみずがめ座にいます(途中で次の星座に移ったり戻ってきたりはしますが……)。

さて、ここでいったん世の中を見回してみましょう。
相次ぐイベントの中止、あるいは縮小……。中止されなくてもウイルスを拾ってくるわけにはいかないから参加をとりやめる、というケースもありますね。
一方、WEBで作品を発表しようにも、締め切りがないせいでいまいち調子が出ない……。
もともとオンラインでの活動がメインだけど、オフライン勢の元気がないからなんとなくこっちまで元気が出ない……。
なんともしょっぱいご時世です。

だからこそ、作品(商業とかアマチュアとか関係なく)の流通ルートについて、新規開拓する必要があるともいえます。実際に開拓するには到らなくても、なにかしら可能性を探していく必要はあるのではないかな、と。
木星&土星は「社会」で、みずがめ座は社会よりもさらに大きな「時代」を司っています。
社会や時代の構成要素は個人ではありますが、個人は社会や時代によっていともたやすく捻じ曲げられてしまいます。
なので、みんなで力を合わせて、新たな社会や時代をつくっていく必要があるのです。

……なんて言うと思いましたか?
そんなわかりきっている上にふわっふわなことを2020年の年末に大真面目に記事にしていたら、社会とか時代とかそういった大きな流れみたいなものに遅れをとりまくってしまいます。
あと、社会も時代も大きい分ふんわりとした言葉なので、どうにもこうにも扱いづらいです。これらについて語ると自然に主語が大きくなっていくので、怒られも発生しやすそうですね。

みずがめ座では「選ぶこと」が重要になります。
選ぶためには、別の可能性に目を向ける必要が発生します(このへんは木星の管轄です)。そしていくつかの可能性を比較検討した上で、不要と判断した可能性はすべて切り捨てていかねばなりません(こちらは土星の管轄です)。
これらを同時に行うためには、俯瞰の位置に立つ……のはちょっと難しいかもしれないので、「前のめりになってるな~」とか「行き詰まってるな~」と気づいたら一歩引く、ということを繰り返していきたいです。たぶんその内に感覚がつかめると思います。

また、みずがめ座が優勢な星回りでは、「変わりたくない、でも今までのやり方ではどうにもならない」という状況になりやすいです。
なので、「自分にとって一番重要なものを維持するために、なにを変えていけばいいのか」、そんなことを考えてみてもいいのではないでしょうか。
とりあえず社会とか時代とかでかいものは横に置いて(でも横目で見つつ)、「変えたくないもの」「変えてもいいもの」「変えたほうがいいもの」を明確化できればいいのではないかな、と。選ぶために価値基準の洗い出しをしておきたいわけです。

そして、洗い出しをするためにも、「なんかうまくいかないな……」となるたびに、「一点を凝視しすぎかも~」「熱くなりすぎてたな~」と一息つけるよう意識していきたいです。
作業終了時間を決めて、アラームをかけて、音が鳴ったら集中も執着もいったん解けるようにする…あたりが現実的な「一歩引く方法」であり「一息つく方法」ですね。
社会だとか時代だとか大きなものを意識していきたい天体配置ではありますが、まずは個々人がしゃっきりしていられるようにしていきたいな~と。

この記事において大切なこと(いやそんなに大切ではないんですが)は以上です。
ご高覧いただきありがとうございます。作品づくりに戻りましょう。


作品の新しい価値基準について考える

『自分にとって一番重要なものを維持するために、なにを変えていけばいいのか、そんなことを考えてみてもいいのではないでしょうか』
こんなふわっとしたことなら、だれでも書けると思います。
いや「だれでも」なんて言うと、「俺は書けないんだが!」と怒られるかもしれません。やっぱり木星&土星的なでかい主語はよくないですね。

そんなわけで、なんの参考にならないかもしれませんが、私なりに「こういうことについて考えていったらいいのでは?」とこねくり回したものごとを書いてみようと思います。ここから先は蛇足な上に冗長なので、忙しい人は原稿なりソシャゲの周回なりに戻ったほうがいいです。

「自分の作品の価値をはかる上で、複数の基準を持っていてもいいのでは?」
鑑定やインターネットを通して前々からなんとなく感じていたことを、「木星と土星がみずがめ座に入った」という星周りに重ねてみた結果がこれです。記事を書くためにむりやりひり出しました。
要するに「一般的な作品の価値基準」からいったん離れてみたり、別の基準に目を向けてみてもいいんじゃないかな~ということです。
「変えたくないものを変えないために、変えてもいいなにかを変える」時期ではありますが、価値基準とか人生の今回に根ざしてるようなものをいきなり変えるのは難しいので、「世の中にはいろんな価値基準があることを知っておきたいな~」くらいのノリで十分です。

「一般的な作品の価値基準」は多々ありますが、そんなもの一つ一つ拾い上げていたら永遠に記事を書き終えられないので、今回は「数量」をピックアップしてみます。quantityです。なぜなら、わかりやすいからです。わかりやすいから価値があるとされやすい、という側面も大いにありそうですね。

私たち(でかい主語)は資本主義社会で生きているからなのか、どうしても「数が正義」になりやすいです。「売れるものこそ価値がある」「需要があるからこそ正しい」等々……。
ものごとを定量的に、かつ社会的に正しい評価するために、数量という基準――ブクマ数なり閲覧数なり販売数なり感想の文字数なりを、人間(クソデカ主語)は求めていくのではないでしょうか。あと、数量と一口に言ってもいろいろありすぎますね。

「数が出るから価値がある」「数が出てるから正しい」という判断からは、現代人である以上そう簡単に離れられないですし、がんばって離れようとして苦しむのもなんか違う気持ちするので、それはそれでいいと思います。ゆえに、「複数の基準を持っていてもいいのでは?」というふんわりとした提案をしてしまいました。
ただ、数を絶対的な基準にしてしまうと、「価値が低い」「正しくない」と作り手にも受け手にも判断されてしまう作品が大量に出てきてしまうんですよね……。
なにもソースは確認していませんが、最近は創作物が供給過多なため、作品の出来とか意義とかそういったものが数につながらないケースも少なくないのではないでしょうか。コンテンツが多すぎてどうすればいいのかわからなくなり、結局ソシャゲの脳死周回をしてしまう……。

数という結果の出せている作品は複合的な要因によって異常値を弾き出したある種の「特別」であるだけで、飛び抜けて価値があったり正しいともかぎりません。「特別にヤバいからバズってしまった」という案件が多々あるのは皆様ご存知の通りですので、今さら言及する必要もないかもしれませんが……。でも、ヤバいものって正しくないからこそ価値があったりしますし。
そして、「特別だから価値がある」「価値があるから特別」というのも当然といえば当然なんですよね……。なんだか当たり前なことしか話してないな。木星も土星もみずがめ座も、あれこれ語る上で軽率に「いいからぶっころころがしちまえ!」って言えないから嫌ですね。


なにが特別なのか

では、「特別」の判断基準はなんでしょうか? なんでしょうね……。
みずがめ座は「みんな特別であり、みんな特別ではない」星座です。つまり「特別なんてない」わけです。ならば、任意のものごとを特別にしてしまってもいいはずです。
「なにが特別なのか決めるのはこの俺だ!」ということです。これは、みずがめ座の正反対の位置にある、しし座の考え方です。
みずがめ座の「なにが特別だというんだ?」という問いかけに向き合うためには、まずはしっかりしし座をやりたいわけです。自分の決定に力を与えましょう。
ちなみに、自分で決めた「特別」に過剰な力(というか念)を注ぎ込みまくると、今度はさそり座が爆誕したりします。

「おまえが特別!俺のいうことは絶対!俺の中ではな!」を繰り返していく内に、「なにが特別かなんて、自分で好きに決められちゃうんだな……」と冷静になる人もいると思います。
それこそが真の狙いです。「特別」は好きに決められてしまうから、そこまで強固にこだわる必要なんてない…という領域までいけてしまえばこっちのもんです。「特別」から自由になれます。

「特別」から自由になると、より俯瞰的な立ち位置から「価値」をはかれるようになれます。必ずしもそうとはかぎらないのですが、セルフ揚げ足取りばかりしていると記事が永遠に終わらないので……。
「ジャンル内ではすごいと思ってたものも、ジャンルの外に出たらそうでもない」
「自分では大したことないと思ってたものも、上も下もぜんぶ引っくるめてみるとなかなかのものだ」
「ものごとの価値って時と場合によって変わるんだ」
みたいな気づきにいたることで、創作活動もやりやすくなったりするのではないでしょうか。少なくとも、評価に振り回されにくくはなるはずです。
そして、このへんがみずがめ座の理想的な落としどころかな、と思います。

そして「いや、いくら自分で特別を定義したところで、なにも解決してないんだが!?」となる人がほとんどではないでしょうか。「理屈はわかる気がするけど、でも特別だって実感わかない……」というパターンもありそうですね。
そういう場合は、「なにも解決しない」「実感わかない」という気持ちをそのまんまにしておいてください。その気持ちを木星がみずがめ座にいるうちに抱けるかどうかが、のちのち重要になってくるので……。
2021年5月14日か12月29日あたり、つまり木星がうお座へ移るころに、「解決しない」「実感わかない」に関する記事的ななにかを書こうと思います。


俺が法律!な人へ

世の中には「他でもない自分が『俺の作品サイコー!』と思ったら傑作、『俺の作品、駄目だな』と思ったら駄作」という人も、それなりにいらっしゃるはずです。
「俺が法律だ!」を貫くことはもちろん大事ですが、たまには自分以外から見た作品の評価に目を向けてみてはいかがでしょうか。
でもそういう人はすでにこの記事から離脱してそうですね。が、このままつき進もうと思います。文字数だけでは価値を創造できなくても、“強さ”や“圧”は得られる気がするので……。

作品に対して数字も出ていなければ反応も出ていない(あるいは極端に少ない)場合は、数字や反応を引き出せるように工夫してみてもよさそうです。
3日で飽きるかもしれませんが、やらないよりはやっておいたほうがいい星回りです。説明が面倒になったら「そう星回りです」でぶん投げられるの、ほんと楽ですね。

数字は「この作品(自分のものでも他人のものでも)、やけに見られてるな~。みんな暇だったんだな!」くらいの感覚でとらえてみてください。
普段から数字を追ってない人間には、それ以上のことはわからないと思うので……。いやそうとはかぎりませんが、くわしく書くのが面倒なので(あと私も数字はよくわからないので)とりあえずぶん投げます。

反応については、基本的にはポジティブなものだけ眺めていればいいと思います。自発的にメンタル消耗している暇があるならソシャゲの周回でもしてろ。
というのも、ネガティブな反応(無反応を含む)を重大にとらえすぎて、へこんだり折れたりしてしまう人のほうが多い気がするからです。
あと、普段は「ぶっっっころがす!」と包丁を持ち出すタイプの人も、暗かったり寒かったりする時期は元気がなくなりやすいので、「こ、ころ…ころころころ…」くらいしか言えなくなってしまってたりもしますし……。

紆余曲折の果てに他者の反応に触れ、
「自分の作品、こんな面が好まれてたりするんだな~」
「塗り残しも誤字もバレていないようだ……」
「だいぶ攻めたものをつくってしまったけどべつに怒られなかったから、意外とみんな気にしないのかもしれない」
ということを把握しておけると、追い詰められたときや行き詰まったときに役立つはずです。
評価を自給自足できるひとには、「別のやり方に気づけない」という弱点もあるので……(まあ、パワーでなんとかしちゃう場合も多々あるのですが)。


最後に

あれこれ書きましたが、そもそも「価値」とはなんなんでしょうか。みんなそれぞれが異なる価値基準を有しているので、そのへん突き詰めないかぎり、ふわっとしたことしか言えないな……ということに、今になって気づきました。
が、今回の主役である木星や土星が司っている「社会」もふわっとしたものなので、どうがんばってもふわっとした記事にしかならないのかもしれません。

ごらんのとおりふわふわでもふもふな記事なので、暇すぎて死にそうなときに読み流すくらいでいいです。書いてあることを真に受けて、難易度が高かったり辛かったりするほうに立ち向かっていく必要なんてありません。
だんだんこの記事の存在意義がわからなくなってきたので、あとソシャゲの周回をしたいので、今回はここで終わりにします。

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