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ピアノと「豆粒の上に寝たお姫さま」

突然ですが女性の皆さんに質問です。
ブラのホックは後ろ手で留めますか?前に持ってきて留めますか?



私は確か40代の終わり頃まで前で留めていた。後ろ手では出来なかった。見えないから分からないと。
が、こんなの好きな人に見られたらカッコ悪いし自分でも恥ずかしいわと思い改めた。やってみたら普通に出来るものだ。


他人に美や技術やらのパワーを憧れ求める前に、そんな簡単なことすら出来ないのでは憧れの存在に自分はふさわしいって言える?
デートで寝るのはいいが服を着ける段になったら?
もしゆくゆく一緒に暮らすことになったら?
私の内なるアニムスことトカゲは冷たく言い放った。

「そんな女、俺なら絶対抱きたかねえな」

アニムス、つまり自分の中の男性性であるかれは非常に考え方がマッチョで、私もそれを気に入っていた。
見た目やしぐさではない、とトカゲはいつも言った。

「魅かれるんなら、【そのソウルがいつも真っ直ぐでカッコいい】ってことだろ?男でも女でも中間でも。それがそれぞれの性に花開いた時あらわれるもの。それが要はほんものの色気だ。
ほんものの色気は完全に独立してる。
だが同時に他を思いやることをベースにしてる。そういう人間、そういう女になれるようにしろよ?他人に文句言ったりくだらねえ噂話してるヒマなんかおまえの人生にはねえ。俺はこれから金輪際おまえの今生にそんなヒマは与えない。
で、そうなった時にわかるよ。その時添ってる男が絶世の美男とか大金持ちとか超絶スポーツマンとかIQ180とか社長でなくても若くなくても、その時のおまえはぜんぜんかまやしねえだろう。ソウルっきゃ見てねえし、たとえそれがイマイチだろうが【なぜそいつが相手なのか、の意味】を分かってるだろうからな。こいつのこんなとこヤダだのは完全に消える。だって相手はおまえを映す鏡だと知ることになるから。そして問題なく恋をして、私は世界中の誰よりも幸福だって笑ってるだろうよ」



くもり空の日曜日。月末にホールで弾くピアノの指練とイメージトレーニングをしていた。
うちにピアノは無いしそもそも置いてはダメな部屋だけど、音楽を聴きながら指を床で自由に走らせ肘や肩、背中や骨盤の動きや呼気を確かめるのは全く問題ない。
楽譜もない。
でももともと譜面が苦手でコードすら覚えられなかった。なら耳を使えばいい。
体全体が流れ始める。



プロコフィエフなんて弾けないけど、指はだいたいのアウトラインをなぞる。
小澤征爾指揮、ユンディ・リ。ベルリンフィル。

雨?
奔流?
波?

水の楼閣。
一瞬にして形を変える巨大な。そして微細な。
きわのきわまでふくらんで、ついに堪えきれずバウンドしながら落ちる水滴。
爆発。小さなしぶきが散るさま。
それらが10本のゆびの間で無数に重なり合う波頭となる。
ゆびを1本、スローモーションで引き抜く時にまた水滴が落ちる。
二度とないかたちの水が。


呆然として、次はグリーグの蝶々とノクターン。これだってべつに弾けない。
単純に聞こえる旋律は実はとても複雑で、メロディを右手でダブルで奏でながら左のアルペジオをやるなんてことを思い出す。


できないとかできるは問題じゃない。
気持ちがいい。
それだけ。


そしてどちろにしろ、リズム。
リズムとメロディの城のその内奥に、宝石のようなソウルが宿っている。
こちらを見ている。
それが声もなく言う。

「聴くのじゃない 覚えるのでもない 私になればいい」


ああ、そうなのか。


「さっき料理をした時。野菜を剥いてひとつひとつ形を確かめて最適な大きさに刻んで、糖分と塩分のバランスを考え、時間と空気と水と温度を考え、最終的なかたちと味を想像して手足を動かしながらあなたは楽しくてたまらなかった。その時も音楽を聴いていた。それはシンクロしていた。
洗濯物を干す時、掃除をする時も。
右手も左手もどのゆびも使いながらどれも重要で、どれが欠けても不自由すると感知して楽しかった。
もし目が見えなければどうする?
あなたはなんなく
指の腹についてる
【指の目】を使えば本当は眼球より確かだと安心した。触覚も聴覚も嗅覚も味覚も視覚に勝るとも劣らない感覚だからと。それらを磨くと背後に何が起こるかまで事前に感知できる。あの建物の道具たちに教わったこと。
それこそ使わない手はない。するともう不可能はほぼ無くなる。
もし筋ジストロフィーになったって、意識は自由闊達そのもの。恐れさえそうやって捨てれば。
楽しいと。
自分がその世界のなかにひとつ在って、溶けている世界を上から見てる。
すべて美しいと。
それを感じて安穏としてる。それも愛のあらわれかたのひとつ」


ほとんど白昼夢のような、数分?の感覚からはっと覚めた。
背骨を戻してすべて忘れる。また動くことに戻り、溶けていく。誰がいようがいまいがこれが私のアート。そして誰もが同じに楽しく創りながら笑える。


豆つぶの上に寝たお姫さま、というけったいなお伽話を小さい頃読んだ。その時はまったく意味が分からなかった。


お嫁さんを探している王子のいるある城に嵐の晩、ずぶ濡れでひどい様子のお姫さまが一人尋ねて来、一晩泊めてくださいと頼む。
王子の母親のお妃は、
姫をやわらかな羽根布団をいく枚も重ねたベッドに案内するが、一番下に小さな豆つぶをひとつ、忍ばせておく。
翌朝、よく眠れましたか?とお妃が訊くと姫は、なんだか小さな固いものが体の下にあって一晩中痛くて眠れなかったのです、と困惑気味に言う。
お妃はその姫を王子の花嫁にした。


一見、とんでもないクレーマーかと思うが多分、違うのだ。
お妃はなんでわざわざ豆つぶなんぞを仕込んだのか?
姫君がこまかな所まできちんと感じ取れるかどうかを見たかったのだ。そういうセンスがなければ重要な仕事は任せられないと。お妃は、大切な息子のためにこそ
「覚者」
を求めたのだ。
そういう、日常ではほとんど困ったレベルであろうが鋭敏なセンシティブさを磨き、さらに精神を強靭にかつ平穏にすれば最高の人物になると見越したのだろう。
困惑していたこともポイントだった。あなたは高貴なかたですねと人に言われても妙に恐縮してみせたりなどせず素直に穏やかにただ頷くのみだと。
それでこそ、真に高貴な者なのだと。

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