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漫画 de night

今宵は偏愛する漫画をご紹介します。

まず佐藤史生(さとう しお、女性)の『ワン・ゼロ』。

と、始まる近未来SF+学園青春+ITビジネス+伝奇、な物語。
20世紀に描かれたこの作品はほとんど予言書で、驚愕というほかはない。
都内のグータラ高校生・明王寺都祈雄は同高校の天才コンピュータマニア、馬鳴アキラに
「入りたい店がある」と持ちかけられる。その店では世界的にセレブ客を集め、仮想現実で瞑想し至高の精神的体験ができるという。しかしそこで都祈雄は自分の異母妹・インド国籍の天才美少女、マユラ(摩由璃)と出会う。やがてアキラ、ミノル、エミという同高校のメンバーが奇妙な形で集結し、数千年前、仏教以前の頃仏たちと戦った「魔(ダーサ)」としての記憶を取り戻す。一方マユラはその店が婚約者がやがて後継する巨大企業の一大商品であり、自分がそのために利用されているのを恐れるも、自身は「仏側、アートマン」として覚醒してしまう。

というストーリー。
学習型コンピュータがその企業のコンピュータと関わっているのだが、この辺はその手のマニアならかなり興味深いくだりがある。そのコンピュータも、やがて覚醒する。さて、どっち側に?覚醒した人工知能は何を始めるか?
そして魔の側の中心人物がいま一人登場するが、それは誰なのか。異常が起こり始めた「ビジネス」。企業は収集できるのか、それともクリーンで儲かる筈の商売自体の手先となるのか。魔の中心人物が敵対するアートマン側と戦うために日本のカミや妖怪まで目覚めさせてしまい、クライマックスへ。
人間の意、とは何か。欲と本能と聖性とは何なのか。

しかし実際はのどかな高校生活を送るのんきなシーンもサラッと挿し挟まれている。地味にみんなで試験勉強したり、香港旅行に行った一人がお土産で買ってきたお菓子を食べたり。ルンバみたいなお掃除ロボが普通に出てきてて、エミの落としたピアスを吸い込んじゃったり。こういうこまかいの嬉しいよね。でも、30年前ですからねくどいけど。
そういう女性ならではの視点と、SF小説ファンでホーキング博士やビル・ゲイツ(「あの冷酷非情な性格が可愛い」との本人談)ファンだった彼女の趣向がふんだんに散りばめられている。
各人がシュミを極めていく「オタク社会」、混迷極まる人間たちが高いカネを払ってスピリチュアルにいっちゃう現象、それを提供するIT企業、それを支える巨大A I、その覚醒。
ヤバ過ぎでしょ?


もう一作、彼女の作品。

『夢見る惑星』佐藤史生

こちらは仮想の王国の遷都を巡る陰謀と異能者、大災害を題材にした古代ロマン。
国王モデスコが、行方知れずだった自分のかつての恋人(実妹である)を探すが見つかったのは彼女の遺児イリスだった。王は実の長男として喜び迎えるが、イリスは王権を弟タジオン王子に譲り、神殿の斎王となる。その胸中には、さらに巨大な企みがあった……。


このくらいにしておこう。どうも私は説明が冗長でいけない。


佐藤史生さんの台詞回しは実に魅力的だ。どの台詞も粋で切れ味よく雅やか。そこにはそれしか入れられない、という言葉をピタリとはめ込む。
人物も、誰を主役にすべきか悩む程どのキャラクターも魅惑的。中年男性だろうとお姫様だろうと偏屈な老いぼれ学者だろうと。辺境の砂漠の勇猛な部族の「若」カラも、放浪の舞姫シリンも、暗殺を生業とする部族の生き残り・ゲイルも全員好き。
そしてそれぞれの立場なりの誇りや使命。
人は危機に瀕した時、初めて真価が問われる。
われ先に買いだめに走ったり単に暴徒となるか、他国を攻めて戦をするか。それとも自分の特性を活かして他を護ろうとするか。



次の作品。
『百物語』杉浦日向子。

木の葉の里
人魚譚


狢と棲む話
狢と棲む話
借り物烏の話
フキちゃんの話
フキちゃんの話

ご安心を。伝統に則り九十九できちんと終わっています。本当の怪が現れないように。


好きな話をランダムに抜き出してみた。

『フキちゃんの話』が一等好きだ。
女郎屋の、女にしか見えない幽霊。いつしか二階の小母さん(おばさん。説明はないがおそらくはもと女郎が老いて、いわゆる遣り手婆として勤めているものだろうと思われる)が
「いくら幽的だッて一緒に住んでンだもン、名前位なくッちゃ。」と言って、フキちゃんと呼ぶ。皆も倣ってフキちゃんと呼ぶようになる。
だが、フキちゃんは姿を消す。
「フキはわっちが連れて逝きやす。」
「たぶん、一緒にゆきンしたろう。」


この、たとえようもないやさしさ。
売られてきて春をひさぎ、客に買われる日々から逃れられない女たち。そして皆の大姐さんである小母さん。
皆、幽霊を嫌いも厭いもせず、尋常に接している。
フキちゃんは普段は小さないたずらをするだけだが、余程荒れると戸障子を蹴倒していく。その後は決まって枯れ井戸に籠もり、おーんおーんと泣く。
すると小母さんは井戸を覗き込み、
「フキちゃん、どしたイ?何悲しい?」。
そして家中の飯掻き集め、白握り飯を十七、八もこしらえて放ってやると、泣き止む。


この現代。誰がそんなふうに幽霊と付き合えるだろう。
私には、はしゃいでは大泣きする自分とフキちゃんが重なる。ことに優しくしてくれた叔母が一人、いたことも。


ラストのコマで小母さんが握っているフキちゃんの手。
しわの寄った手が優しく引いてゆく、幼い女の子の手。

いつ読んでも、涙がこぼれる。

さて、サマータイム。暑い暑いこんな時期は、夜起きていて昼眠る。これらを全部読み返すだけで、幸せ。

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