見出し画像

快談水宮チャンネル 13 並木さんとかぶる

先日、主人とドンパチがあった。
その昼、タワー(鉄塔)をふと見た時こう言われていた。
『注意、注意』。


タワーが私に何かしら予言をしてきてくれることは日常茶飯事だが、これもドンピシャ。
ここで登場するのが、皆さんご存知並木良和さんである。


いつも動画をタダ見するだけだが、彼の言うことは不思議なほど私には腑に落ちる。
彼は「電波塔」という言葉をたびたび使う。私がタワーと「話し」、言葉や感覚を受け取るようになったのは5年ほど前。並木さんを知るはるか前だった。
彼はその人その人が高周波を放つ電波塔になれば良い、と言うが、実際にそびえ立つ塔たちがくれる予言は誤ったことがない。私にとっては百発百中である。


で、ケンカのあと。一人、自室(引越してそれぞれ部屋を持てた)のベッドでため息をついて、なぐさめに並木さんの動画を映すと。
たまたま、「怒り」を手放すことについて言っていた。
怒りを取っ払っても取っ払ってっても、その怒りというフタの下にあるものを手放さなければ意味がない、と。


あ。


私が少女の頃から繰り返してきていた感情の爆発と、やはり感情を爆発させる人々との関係や出会い。
つまりタワーが予知したケンカは単なるトラブルや嫌なこと・不運ではなく、並木さん流に言えば「いつまでその映像繰り返して観て遊んでるの?」ということだ。もういい加減、この「怒る→ガーッとケンカする→物別れ」
というつまらぬことを卒業しろよ、ということではないのか。
たまたまの動画、ナミナミ、ありがとう。


怒りの重いマンホールを開けて見てみると、その下にあったのはいつから抱えているとも分からぬ思いだった。
「こんなの不平等だ」「不公平だ」「あいつらばっかりいい思いして、妬ましい。悔しい。なんでこっちばっかりこんな目に」
そんな、自分の前世からとも今も世界で続く集合無意識とも言えそうな「悔しさ」があった。


妬みと悔しさをまだ自分が根っこに抱えていたのは意外だったが、あるものはあるのだ。
これがいつも激しい怒りを発動させ、私はしばしば家を追われることになったりしてきた。
それだけではない。私に牙を向けられた側も深く傷つき、その周辺にも毒は飛び散ってしまったのだ。
即刻撤廃しなければ。


想いを深くサーチしていくと、亡父が出てきた。そもそもの、最初の「対戦相手」。
だがそうじゃない。そのシーンじゃない。もっと深く潜れ。


私は3歳。
父は私を毎日抱き上げてクルクル回って、「抱っこダンス」をした。私はこれ以上ないほど笑い嬉しがり、父も満面の笑みだった。
「どうしてお前はそんなに可愛いんだ?」
父は愛しげに訊き、私はわからないからわかんないと答え、父がけれどたまらないほど私を愛しているのを感じた。


目を開けた時、私は泣いていた。私は今もあの時と変わらずパパをだいすき、と感じて。
いったいあの日々のどこに不公平だの妬ましいだの悔しいだのがあった?
ちゃんと戻ればそんなものはもともと無かったのだ。必要もない。したがって嫌うことももうない。
父と夫・T兄はどこか似ていると、以前から思っていた。
そう。父なるものは繰り返し姿を変えては私の人生に現れ、この課題をちゃんと終わらせようとしてくれ続けてきているのだ。思い出すんだ、と。


私は原家族を、胸の奥から静かに深く、これ以上ないほど愛した。そして隣室でやっぱりきっと傷つき悲しんでいるT兄を同じように愛し、許し、自分自身を許した。
翌朝、前夜のことがウソのように、T兄はいたわるように私の部屋を訪い、買ってきたタバコをふたつくれた。私はかれに、ごめんね、ありがとう、だいすき、と思ったのでそう言った。穏やかな、互いの顔。鏡。


並木さんいわく、現実なんかすぐカンタンに変わる。のだそうだ。


あのタワーは危険を知らせたのではなかった。そういえばなんだかかるーい感じだった。
「ひと波あるけどうまくやんなよ」みたいな。
こんなのもう我慢できない、こんなのもう無理!という「壁」こそが「ドア」で、そこを開ければ次の高いディメンションへ上がれるのだという。
でもそれに、昔ながらの中華そばじゃなかった昔ながらの努力・根性・我慢はひとひらも要らない。考え方を変えるだけ。カメラのレンズや映像を変えるように。


いろんなことを考え、ひらめいたことを一人実行していた。小さなことであっても自分には意味があったから。
何年か前、人に驚かれたことがあった。あなたがやってることは実践哲学だ、と。
もっと前、うず高く積み上げた本を片端から読みながら悲しい暮らしをしてる人を見て思った。どれだけ貴い書物を読んでも、生活や人生に役立ててないなら意味がない、と。これもずいぶん前、精神的にも人生にも行き詰まっていた時、「声」がした。
「まずおまえの体の不快と不調をとり除きなさい」
これらもまったく同じようなことをこの一年くらいで、並木さんの動画で聞いて驚いた。
へえ!?この人もそれ知ってるのね!おもしろーい。


私は自分でケアし、心地よくなれば心に余裕が生まれ、余裕にはやすやすとあらゆる愛と幸福が忍び込むのを知った。愛と幸福は余ったら、あとは噴水のように周囲に流れ出るままにすればいいことも。するとそれは私の周りに特殊なバリアを張り、
その圏内に入れないものは近寄れず、入ったものは毒を失うことも知った。
なにも特殊なことはしていない。


「声」を初めて聞いたのは十年ほど前、瀬織津姫がおわすというトイレの中でいきなり。

「今日という日が最後の日なら、何をすべきかおのずとわかる」

一言一句たがわず、そう声は降った。以降私の座右の銘となっているが、当時はまだトイレに瀬織津姫がおわすとも、のちに清掃の仕事を経験してトイレを深く敬愛するようになることも知らなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?