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ラン・トゥ・ザ・ヒルズ

なんかダブルヘッダーどころじゃない水宮ですこんばんは。書き過ぎ書痙教室だよ。


ふと体を動かしていて気づいた。
弱い。固い。
腕立てをしたら5回も出来なくて愕然。
これで何イキがってんだ情けない。


かつて出来た、そんな話を人はよくする。昔はあれが出来たとか。じゃあ今は?
私出来ない。
速攻腕立てと柔軟を始めた。
面白い。あの頃以前に私は戻れたのだ。今度はどこまで出来るかな?



体の細胞やシステムが入れ替わるのにひと月。今は年齢を考えるともう少しタイムラグはあるかもしれない。
筋繊維や筋、腱が柔らかになり、しなやかになり、長年の課題だった持続力を得るのにはもう少し。


遊びながらやる。しかも酒を飲みながら。マジになり過ぎるとたちまちアホらしくなって投げ出してしまう性格を見越してね。Dioなど聴きながら、筋肉を動かす。


個性などと言い立て振りかざさずともそれは肉体が表現していると、ある解剖学者が言っていた。個性はむしろ脳ではなく身体に表れると。
そうではない?
考えてみてほしい。
普段暮らしていて、誰かと会う。ふつうその人の意見や心の中ではなく、まずはその肉体の表面を見るはずだ。身体、動き。解剖学者は長年死体を見てきて、それを喝破した。「個性はむしろそこに表れる」。


どんな姿。どんな動き。どんな行動。
それを支配するのが脳なら、すべて表に顕れるはず。



私とほぼ同じ時期に生まれた従兄弟がいる。大の仲良しだったその子、よっちゃんは、生まれつき半身不随だった。知能は完全だが言葉も喋れず食事も自力で出来ない。
でも、ええ私たちは言葉など必要なかった。会えて嬉しい❗️という気持ちのあらわれの表情や動きで、出来る限り遊び、通じ合っていた。彼のハートは気高く、動かぬ体を彼は訓練し、可動可能な限り頑張って習字を習得し、電動車椅子を操るようになった。彼はいつも笑顔だった。笑顔とよだれがよっちゃんの言葉だった。
たぶん、もう死んだろう。



親に捨てられたある友人。這い上がり強くなり笑いかけてくれた。水音ちゃんは自分と同じで弱いけどほんとは強い。自分と同じで生き残ったんだから、と。きっとどこかで元気でいる。



さあ、頭の活動、止め。


私の掃除の時いつも頭の中にかけるBGM。これの「セイ❗️セイ❗️セイ‼️」に合わせると洗面台は3秒で拭き上げられる。


ダンスだ?笑わせらあ。こんな固い体で持続力もなく。
やってみよ。時間をかけて楽しんで。あすなろあすなろ。

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