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庵野秀明の『シン仮面ライダー』は、「仮面ライダー」に捧げられた仮面ライダーだった

先日仮面ライダー生誕50周年企画作品『シン仮面ライダー』を見て参りました。
「庵野秀明監督による仮面ライダーの映画」ということで、朝からプリキュア-仮面ライダー-スーパー戦隊を見てから日曜日を始めていく流れを10年以上続けている身としては「見に行かなきゃ駄目か」と思って見に行ったんですが、見終わった直後に出てきたのは「これまでのどの作品よりも尖ってませんか」でした。尖りすぎてて、他人に勧めるには勇気がいるんですけど!
『シンゴジラ』『シンウルトラマン』は分かりやすかったじゃないですか。
『シンゴジラ』は「現代日本に突如襲撃したゴジラに立ち向かう人々」を描いた作品で、『シンウルトラマン』はウルトラマンの魅力を雄弁に語った作品だったので、「『もしも今突然怪獣が出現したら』を描いた作品が『シンゴジラ』」「『なぜウルトラマンが人類の味方をしてくれるのか』をたっぷり時間をかけて描いた作品が『シンウルトラマン』」と、人生に怪獣映画やウルトラマンと接点がない人にも説明することができた。

でも『シン仮面ライダー』は「仮面ライダー」なんですよ。
「仮面ライダーを描くために仮面ライダーをしているので、仮面ライダー以外の何物でもない」と言う代物が『シン仮面ライダー』なんですよ。「仮面ライダーで何を描こう」じゃなくて、「仮面ライダーを描こう」としている映画が『シン仮面ライダー』なので、あまりにも「仮面ライダーに馴染みのある人間」にしか向いてない。潔すぎて驚くぞ。
でもこれが出来るのは「仮面ライダー」というコンテンツが毎年新作が制作されるほど人気があるシリーズで、特に今の30代ぐらいの人間は「自分の世代の仮面ライダー」を持っているからこそ出来ることでもあると思うんですよ。「仮面ライダーの良さ」みたいなものを分かってる事が前提というか。
『シン仮面ライダー』はそういう「自分の中の仮面ライダーへの思い」みたいなものが引き出す作品としては本当に素晴らしかったと思います。
カタログスペック通りのアクションとかも、「子供の頃に見た仮面ライダーの印象(これぐらい強く感じてた)」に近いといえば近いので、大分変なところで終わるのに満足度があるのも、そのへんが理由かなという気はしています。

個人的には浜辺美波と西野七瀬が良かったですね。
ビジュアルが決まりまくってるのもそうなんですが、あの二人がアップになるとレイアウトが決まりまくってる。見ていて気持ちいいぐらい決まってるので、あの二人だけで元を取った気になりました。
あとは一文字隼人とチョウオーグ……。
特にチョウオーグは演じている森山未來の身体の使い方をフルに活かしているので、身体表現に興味がある人は見ておいた方が良いかなと思います。


プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。